流れ出る血の鮮やかさと共にリオウの顔はどんどん青ざめていく。呼吸は荒く、辛うじて意識がある状態であった。

 フローディアはそれを見て、完全に凍り付いていた。
 ガタガタと震える姫の姿をぼんやりとする視界の中で捉えたリオウは自嘲気味に笑った。

 「はぁ・・っ・・今が・・チャンスだぞ・・」

 リオウの苦しげに囁かれた声に姫は大きく震えて彼の苦痛に歪む顔を見た。

 「私を・・殺したい、のだろ・・う・・?今なら・・簡単・・なは、ず・・」
 「え・・・」
 「・・姫に・・殺されるのなら・・本、望だ・・」

 微かに微笑んで吐き出された言葉を最後にリオウの意識は失われた。一瞬ひやりとしたが、肩で荒く呼吸しているのに気付いてホッとする。

 「・・・え・・私・・?」

 フローディアは無意識に王の生死を確認し、生きていると分かった瞬間安堵した自分にハッとした。
 目の前に血を流し倒れているのは、敵国の王だ。彼の言う通り、今その命を奪う事は簡単だろう。


 ゴクリと喉がなった。


 震える手で近くに落ちていた剣を広い、王の真上で掲げる。

 この剣を振り下ろせば憎い仇をこの手で殺せる。なのに、どうして私の手は動かないのだろう。どうして涙が出るの。

 「どうしてよ・・この男は私から全てを奪った男なのに・・」

 どうして今、彼の笑顔がちらつくのだろう。抱き締められた時の温もりを感じるのだろう。

 「駄目だわ・・」

 頬を流れる涙と共に手から剣が滑り落ちて廊下に鈍い音が木霊した。

 ――殺せない。私に彼は殺せない。

 「ごめんなさい・・ごめんなさい・・」

 誰に対する謝罪なのか、顔を覆い必死に呟いてからフローディアは意を決して叫んだ。

 「誰か来て・・・!!」











 「一先ずはこれで大丈夫でしょう。幸い、剣が内臓を外れていたので助かりました」

 医者のその言葉に部屋にいた者達は皆、安堵の溜息を吐いた。

 「しばらくは安静にして頂かなくてはなりません。では、私はこれで・・」

 詳しい説明をした後、医者はそそくさの部屋を出て行った。そして部屋に残ったのは臥せったリオウと彼の腹心の部下シャールとフローディアの3人だけとなった。

 一国の王の重大自体、例え自国の者であっても簡単には知られてはならない。姫の叫び声に駆けつけた侍女達はそれを承知しており、騒がず行動したおかげでこの事を知る者はまだ少ない。

 その様子を間近で見ていたフローディアは不思議でならなかった。リオウが命を狙われているのは分かったのだが、ここまで内密にする必要はあるのだろうか。信用できる人間がいないのか、この国の王は彼であるのに。

 そんな中で他国の自分が居ていいものか、フローディアは戸惑い部屋を出ようとしたがシャールがそれを許さなかった。
 あなたは当事者ですのでこの場にいて頂かなくては困ります、と睨むような目つきで言われれば嫌とは言えなかった。


 シャールは医者が出て行ったのを確認すると、静かに姫に向き直った。

 「・・・正直驚きましたよ」
 「な、何がですか・・?」
 「あなたが王のために助けを呼んだ事です。あなたは王を恨んでおられると思っていたので」

 フローディアは俯いた。自分でもなぜリオウを助けようとしたのはまだ理解出来ていなかったからだ。
 何も言えない姫にシャールは追求するつもりはないらしく、ふと視線を逸らした。

 「・・あなたはなぜ命を狙われたのか気にはなりませんか?」
 「・・・あれは本当は王を狙ったものではないのですか?」

 戸惑いがちに言われた言葉にシャールは目を見開いた。その瞳がそれが真実であると暗に語っている。

 「彼らに言われたのです。私に恨みはないが、王の子を宿されては困る、と・・」
 「奴らも口が軽いですね・・ではもうお分かりでしょう。確かに王は命を狙われています」
 「誰に、と聞いてもいいでしょうか・・」
 「あなたにはその権利がある」

 短く言って、シャールは視線を下げ苦しげに眠るリオウを見た。

 「あなたは王の外見について何か思った事はありませんか?」
 「外見・・」
 「そうです。髪・瞳・肌の色や顔立ち・・・少し違和感を感じませんでしたか?」

 姫は確かめるようにリオウの顔を見た。そして気付く、彼の持つ異質な雰囲気に。

 リオウの髪の色は漆黒だ。その髪を持つ者を姫は今まで目にしたことがなかった。肌の色も象牙色で顔立ちもどこかこの国の人と異なる。

 「まさか、彼は東方の・・」

 話に聞いた事のある東方に住む民族の外見条件とリオウはピタリと一致した。フローディアの問いにシャールは頷いて肯定を表した。

 「そうです。王は半分東方の民族、リベル人の血をひいているのです。彼の母君がそちらの方でした」
 「でもこの国は・・」
 「そうです。ファーフナー王国は他民族、他国の者を受け入れません。特に東方に住む民族に関しては蛮族として毛嫌いしています」

 ファーフナーは他国の人を受け入れないと知っていたが、東方民族を蛮族と見ていた事は知らなかった。蛮族とされる血をひいているリオウが今までどんな扱いを受けてきたかは容易に想像がついた。

 「あなたのご想像通り、王の幼少時はそれは酷いものでした。王子として大切に育てられるべき存在であったはずですのに・・」









 リオウの母は踊り子として国々を回っていた。彼女はその世界では有名で、それを耳にしたリオウの父、前ファーフナー王は彼女を王宮に招いた。

 だが、その王宮に現われたのは漆黒の髪と目を持つ美しい踊り子だった。王は彼女が東方出身である事を知らなかったのだ。彼女を目にした瞬間、すぐに追い出すように王は指示したが、踊り子は毅然として言い放った。

 「私の踊りを見てからご判断下さいませ」
 「何・・・?おもしろい・・」

 王は今まで女に意見された事など一度もなかった。ゆえに彼女が新鮮で興味深く映ったのだろう。そして彼女の踊りを見た瞬間、王は完全に蛮族と思っていた東方の女に魅了されていた。


 その踊り子を大臣達の反対を押し切り、側室として囲ったのは、王の気まぐれとしか言いようがなかった。だが、王は彼女を本気で愛した。愛するゆえに周りが見えなくなっていた。

 踊り子も自分を一心に愛する王に心を奪われた。二人は幸せだった。だが、踊り子に子が出来てからはその幸せは一変した。

 彼女への正妃からの嫌がらせはますますエスカレートし、彼女を悩ませ床に就かせた。王も子がいると知ってからは突然興味を失ったように彼女を見捨てた。
 それにより、踊り子はますます絶望し食べ物も喉を通らなくなり、やせ細っていった。

 だが、彼女にはただ一つ希望が残されていた。彼女に宿った子供だ。子を無事に産むために彼女は生きていたのかもしれない。事実、リオウを産んだ瞬間彼女は息を引き取ったのだ。

 彼女の唯一つの希望であった子、リオウは当然王宮内で疎まれた。蛮族の血が入った王子など必要ないと幼いリオウを殺すように王に進言する者は後を絶たなかった。

 だが、王には正妃との間に王子が一人しかいなかった。世継ぎが一人では心もとない。しかもその王子は体が弱かった。それを理由に殺すのは避けるべきだと言う意見も当然あった。


 リオウをよしとしない者は彼の髪の色をよく取り上げて非難した。この国の王は代々金髪である。黒髪のリオウでは、尊い王族の伝統を汚す事になるのだと言う。

 だが、皮肉な事にリオウの瞳は紫だった。紫の瞳もまた王族の証である。この瞳が彼が王の血をひいていると言う証拠だった。しかも王族の中でも紫の瞳は珍しく希少だったため彼の生存を訴える者も増えた。


 最終的に王子として育てられる事になったのだが、それは正妃の子である第一王子と比べるとあまりにも差があった。城を出る事も許されず、ほとんど監禁のように質素な部屋に閉じ込められた。

 ろくな侍女も付かず、人にはいつも汚いものでも見るような目で見られ、罵られた。

 だが、リオウの生活は彼が13歳になった時、大きく動いた。第一王子が流行り病で病死したのだ。元々体が弱かったため、病に耐えられなかったのである。

 これで王の血を受け継ぐ王子はリオウただ一人となった。当初は蛮族の呪いで王子が死んだのだと噂されリオウは理不尽な罵倒を受けてきたが、王子はもうリオウしかいない。

 大臣達は渋々ながらも彼に帝王学や剣を学ばせていった。リオウは優秀でそれら全てをすぐにマスターしたが彼を認める者はいなかった。


 そして、彼が皇位継承者に任命された日からリオウは命を狙われる事となる。他でもない親類、叔父その人にだ。彼は元々王位を狙っており、リオウの生死を決める時も頑なに死を願っていた。

 リオウさえいなくなれば、必然的に自分に王位が回ってくると考えたのだろう。


 「その叔父上は今でも王の命を狙い、刺客を送り込んでくるのです」
 「・・・捕らえる事は出来ないの・・?」
 「それは現状では無理です」

 どうして、と声を荒げずにはおれなかった。犯人が分かっていてなぜ何年も放っておくのか。こんな事を繰り返していてはいつかリオウは殺されるだろう。

 「証拠がないのです・・・しかも大臣達は彼を庇う」

 リオウが王となった今でもそれを認めようとしない者は多くいた。その中心にいるのが国の中枢を担う大臣達だ。年長者が多い彼らの東方民族への差別は酷く、決してリオウを認めない。


 「王には味方と呼べる者は殆どいないのです・・・この王宮内でも」

 それはリオウの心を凍りつかせるには十分だった。いや、凍りつかせなくてはここでは生きていけなかったのだ。

 呆然とリオウを見るフローディアの目には、表情を消し、感情を殺す事でしか自分を保てなかった悲しい男の姿だけが孤独に映っていた。











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