「すぐに姫の手当てをしろ」

 これがリオウが城へ帰って最初に言った言葉だった。

 フローディア付きの侍女達は皆一様に帰ってきた主の姿を見て悲鳴を上げた。それもそのはずだ。ドレスは泥にまみれ、所々破れて血が滲んでいた。そして姫の顔には涙の跡がはっきりとあった。

 始めは王が姫に無体でも働いたのではとヒヤリとしたが、その考えはすぐに打ち砕かれた。他でもないリオウの態度に。

 呆然と俯くフローディアの肩をやんわりと抱き、薄く笑いながら声を掛ける姿は普段の冷酷なそれではない。

 やはり王はこの姫を深く愛しているのだと感心して侍女達は甲斐甲斐しく姫の世話を焼き始めた。
 それを見てリオウはホッと息をついて近くにいた侍女に何やら囁いて部屋を後にした。

 「王、それは・・・っ!!」

 侍女が慌てて王に意見しようとしたが、彼はそれに反応を返す事はなく淡々と、
 「命じたようにしろ」
 と切り捨てた。

 他の侍女達は王に声を掛ける大それた真似をしたその侍女をいぶかしんだ。そしてぼんやりと身を任せていたフローディアも異様な空気に気付いて顔を上げる。

 ――あれは・・・。

 それはフローディアにリオウを救って欲しいと懇願した若い侍女だった。

 どうしたのだろうとぼんやりと見ていると、彼女と目が合った。

 「・・・姫様・・」

 その瞳が何かを訴えているのは誰の目にも明らかだった。だが、侍女は声を出そうとするが思い止まり、姫の周りにいる他の侍女達を困ったように見た。

 無視してもよかった。事実、フローディアは侍女のあの言葉を不快に思っていたのだ。

 「・・・すみません・・」

 だが彼女はそこまで冷酷にはなれなかった。目を細めると、そっと口を開いた。

 「・・少し、彼女と二人きりにしてくれませんか」

 侍女達は姫が言う彼女が誰であるのかすぐに分からないようだったが姫の視線からそれが誰であるのか判断出来た。
 なぜ、とは思ったが主の言う事に逆らう事は出来ない。深く頭を下げてから静かに部屋から姿を消した。

 完全に足音が遠ざかってから侍女、リリィは意を決したように姫を見た。

 「・・・姫様にお話しなければいけない事があります」
 「・・・何・・?」

 無気力にこちらを見る姫の様子にリリィは戸惑った。前話した時と比べると随分印象が違うように思えたのだ。覇気がなく無力感が漂っている。

 「・・実は、先程王に命じられたのです・・・今夜姫様を部屋に連れて来るように、と・・」

 その瞬間、フローディアの瞳が恐怖に揺らいだのをリリィは見た。
 無理もないだろう。この姫にとってそれは苦痛以外の何物でもないのだから。

 フローディアはしばらく唇を噛んで両手で自分を抱き締めるようにしていたが、最後に諦めにも似た短い吐息を漏らした。

 「・・それを私に言ってどうなると言うのですか?あなたも私もあの人に逆らう事など出来はしないのに・・」

 最後の方は問い掛けると言うよりも自分に言い聞かせているようであった。

 実際、今のフローディアには諦めるように自分を納得させるより他に方法はなかったのだ。
 今までは奇跡を信じてレギンの居場所を探そうとしていたが、リオウの言葉が彼女の希望を凍りつかせていた。


 自分のせいで皆を殺してしまった。


 誰もが姫のせいではないと言うだろうが、フローディアはそうは思わなかった。間接的にしろ自分の存在が自国の滅亡を呼んだのだから。

 死ぬ事で苦しみから解放され、償いも出来ると考えるがそれをしては僅かに残った自国の民の命をも奪う事になるだろう。それだけはしてはいけなかった。非力な自分に出来る事は苦しみの中で生き長らえる事だけであった。

 「私にはどうする事も出来ない・・・」

 呟いて自嘲するフローディアにリリィは困惑と苛立ちを感じながらもなお言い募った。

 「私はそうは思いません、姫様には姫様にしか出来ない事があると信じています。・・・私は確かに王の臣下ですが、姫様が苦しんでおられるのを見てはいられません」
 「あなたはどうしてそこまでして・・・」
 「気にしないで下さいませ。全ては私の自己満足に過ぎないのです。・・前にもお話しましたが私は王に恩義があるのです。ですから王の愛するあなた様の幸せが王の幸せに繋がると考えているのです」

 姫様を心配する裏で本当は王の事を一番に考えている私を恨んでくださっても結構です、と悲しげに微笑んでリリィは姫の手当てを始めた。

 「今の王は残酷で冷酷だと恐れられています。私の知っている王はとてもお優しい方でしたのに・・」

 突然何を話し出すのかと姫は少し身構えた。リリィはそれに気付き、苦笑しながらも言った。

 「あの方の周りにいる者達が王をあのようにしてしまったのですわ。ですが、私は信じております。王は変わってはいないと」
 「・・・どうして・・?」
 「姫様に向けるお顔は昔のままに、とてもお優しいものですから・・」
 「・・・恩義とは一体何なの・・?」

 率直にそれが気になった。リオウがこの若い侍女にそこまで思われるほどの王なのか知りたかった。
 だが、リリィは首を横に振るばかりで答えようとはしなかった。

 「それはいつか姫様に王自らが仰る事ですから私からはお話出来ません・・」

 どう言う事かと益々気になったが、これ以上は問い詰めても無駄である事は何となく察しがついた。

 リリィは手際よく手当てと着替えを済ませると、最後にフローディアに向かって微笑んだ。

 「今夜の事、姫様は心配しないで下さいませ。この部屋でお休み頂いて結構です」
 「え?」

 リリィの言葉はつまり王の命に逆らうと言う事だ。それはこのファーフナー王国では即ち死を意味する。この侍女はそれをしようと言うのだ。

 ――そんな馬鹿な事・・・!!

 「止めて!そんな事をしたらあなたは・・」
 「いいのですわ。私の命一つで王の心を取り戻せるきっかけになるならば・・」

 そしてそのままリリィはフローディアの静止も聞かずに行ってしまった。

 ――彼女は自己満足でしているのではないわ。

 自己満足だけで命が投げ出せるはずはない。リリィは姫ではなく王のためだと言っていたが、それは真実ではない。彼女は本当に姫の身を案じている。


 ――彼女は敵国の侍女。どうなろうと関係ないわ。

 「・・・・・」

 それなのに、なぜこんなにも心乱れるのだろうか。心が彼女を止めろと急かせる。

 「・・・私も馬鹿だわ・・」









 「王にお会いしたいのですが、お取次ぎ下さいますか」

 突然の侍女の申し出に王の執務室の警護をしていた兵達は困惑した。

 「王は今大事な執務を行っておられ、誰も部屋に入れるなと命じられている」
 「姫様の事でも、そう言えますでしょうか」
 「・・・しばし待たれよ」

 言って、兵士の一人が戸惑い気味に部屋に入って行った。

 今まで女を寄せ付けなかった王が隣国から連れて来た姫に執心している事は城ではかなり有名な話になっていた。しかもその姫に手をかけようとした兵が王に切られている事もまたそれに拍車をかけていた。

 姫に何かあったら首が飛ぶ、と兵の中では囁かれていた事だったので、侍女にそう言われて何もしないわけにはいかなかった。

 しばらくすると兵が出て来て、入るようにリリィに言った。

 ばつの悪そうな兵の顔に苦笑しつつ部屋に入ると、リオウが一人大きなテーブルの上に沢山の書類を置いて何か書いているところだった。

 「・・・王・・」
 「姫の事で話とは何だ」
 「・・・先程命ぜられました事、私はお受け出来ません」

 リオウの手が止まった。だが顔を上げようとはせず、相変わらず書類に目を落としていた。

 「お前に私の命に逆らう事など出来ないはずだ」
 「いいえ、出来ますわ。これは姫様のためでもありますが、何より王のためでもあるのです」
 「・・・何?」

 そこで初めてリオウは顔を上げて、その冷めた瞳をリリィに向けた。だが、リリィは鋭い視線に少しも怯む事はなかった。

 「姫様は今、心身ともに酷く弱っている状態です・・そんな時に王に召されればどうなるかは王ご自身もお分かりになっておられるはずです」
 「・・・ああ、分かっている。私は姫に嫌われているからな」
 「でしたらなぜ・・・」

 リリィは最後まで言う事は出来なかった。リオウが微笑んでいたからだ。
 だが、その微笑みは遠い昔に見たそれではなかった。ひどく悲しげで見ているだけで胸が苦しくなる。

 「私にも分からないのだ。頭では分かっていても体が言う事を聞いてくれない・・・姫が欲しくて欲しくて堪らなくなる・・」

 リオウは苦しげに言ったが、リリィは嬉しさに顔が歪んでいた。

 ――姫様はもう王を変えて下さっている・・・!!

 有無を言わずに切り殺されるのも覚悟していたのに、王はそれをしなかった。一介の侍女の話を聞き、苦しい胸の内を明かした。

 以前なら考えられない事だ。リオウは少しずつ、だが確実に昔のような優しさ、素直な心を取り戻している。随分とそれを失くしていたからその感情に戸惑っているのだろう。

 「・・それを姫様にお伝えになればいいのですわ。あの方はきっと分かって下さいます」

 リリィには分かっていた。そして信じていた。フローディアは人を憎みきれるような人間ではない事を。いつかリオウの心が姫に届く事を。

 「本当にお優しい方ですわ、あなたは」

 優しげに微笑んで見た先にはフローディアが息を切らして立っていた。    











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