フローディアにとっては最も忌まわしい夜から1週間、その間リオウは一度も顔を見せず、彼女は平和な時間を過ごしていた。

 午後、侍女の淹れてくれた紅茶を飲みながらホッと息を吐くのは最近では日課となってきた。

 まるでここが敵国である事を忘れてしまうほどの穏やかな日々であったが、フローディアは鳥かごに閉じ込められているように思えてならなかった。

 いつも侍女が自分を監視しているように感じ、城から一歩たりとも出してもらえない彼女の体はしだいに衰え始めていた。
 何度も庭でもいいから外に出して欲しいと言ったが悉く断られた。自国にいる間はよくレギンや弟と共に出掛けていた姫にはそれが苦痛でならなかったのだ。

 元から色の白いフローディアであったが、今では青白いと言う言葉が当てはまるくらい病的であった。
 日に日に落ち込んでいく主を侍女達は分かってはいたが、どうする事も出来ずに歯がゆい思いをしていた時であった。

 王が姫の部屋を訪れたのだ。


 「姫はいるか」

 突然何の前触れもなくやって来た王に侍女はもちろん、フローディアも心底驚いた。王は政務が忙しく当分会う事はないだろうと思っていたからだ。

 リオウの紫水晶の瞳がフローディアの青ざめた顔を見た瞬間揺らいだのを気付いた者は果たしていただろうか。
 少なくともフローディアはそれには気付かずに、ひたすら顔をリオウから背けていた。彼の顔を見るとあの夜の光景が鮮明に思い出されてどうしても震えが走る。

 リオウは顔を背ける姫にわずかに眉を寄せるとツカツカと彼女に歩み寄り、その腕を態度とは裏腹にひどく優しく掴んだ。

 「行くぞ」
 「え、あの・・!?」

 無理矢理立たされて引きずられるようにして部屋から出て行こうとするリオウにフローディアは慌てたが彼は何も言わずにひたすら彼女の腕を引いていた。

 侍女達もどこへ、など色々声を掛けたが全てが無意味に終わり、二人の姿はすぐに見えなくなってしまった。







 フローディアは腕を引かれながら、必死に前を歩く王に声を掛けた。

 「待って下さい、一体どこへ行くのですか!?」
 「ついて来れば分かる」

 それきりリオウはまた黙ってしまい、彼女はその言葉のままについて行くしかなかった。



 しばらく歩くと城の一角にある厩舎に着いた。
 様々な馬が目の前のリオウとフローディアを興味深げに見ている。

 訳が分からずに思わずリオウを仰ぎ見ると、彼は何やら厩舎を管理している男と話をしていた。
 そして男は軽く頷くとどこかへ行ってしまった。

 ますます困惑気味な姫にリオウはほんの少し笑うとやっと口を開いた。

 「今から少し遠出をするぞ」
 「・・・遠出・・?」

 ぽかんと呆気に取られるフローディアに目を細めると王は首を出していた馬を優しく撫でる。

 「姫も城の中ばかりでは息が詰まるだろう。私もようやく政務が片付いたところで息抜きがしたくなったのだ」

 私とでは息抜きにはならないだろうが、とリオウは心の内で自嘲した。

 まだまだ状況の飲み込めないフローディアを尻目に先程の男が一頭の馬を連れて厩舎から出てきた。

 その馬は漆黒で艶があり、素人目から見ても美しくて立派な馬に見えた。男に手綱を引かれながらも人に媚びるような様子はない所に気高さを感じる。

 馬はリオウを目に留めると嬉しそうに一声鳴いて彼の胸に鼻を擦り付けた。
 リオウも優しげに微笑んで甘えてくる馬の首を何度も撫でてやる。

 「久しいな、アトラス。元気そうで何よりだ」

 アトラスと呼ばれた馬はリオウの言葉を理解しているようにますます嬉しげに鼻を鳴らした。

 残酷な王の優しげな姿を目の当たりにしてフローディアは体が動かなくなった。

 リオウはひとしきり撫でてから颯爽とアトラスに跨り、姫に向かい手を差し出した。

 「行くぞ」

 同じ台詞でも表情が違うだけでこうも違うのか。リオウはうっすらと微笑んでいた。
 あんなに憎んで忌み嫌っていたリオウがその時はなぜか違う人物に見えた。

 ――私、どこかで・・・。

 リオウが誰かと被って見えたが、それが誰であるかはフローディアには思い出せなかった。

 いつまでたっても手を伸ばして来ない彼女にリオウはふと目を伏せたが次の瞬間にはやはり強引に彼女の腕を掴んでいた。

 「きゃっ」

 細身の体から一体どこにそんな力があるのか、リオウは姫の体を軽々と抱き上げて自分の前に乗せた。
 フローディアがしっかりと馬に乗った事を確認すると一声アトラスに声を掛けた。

 心得たようにアトラスは走り出し、あっという間に城が小さくなっていく。

 ずっと城へ出たいとは思っていたが、まさかこんな形で望みが叶うと思っていなかった。






 どのくらい走っただろうか。城の外門を抜けると辺りは一帯草原や湖が広がった。

 あまりに美しい風景に思わず感嘆の声が上がった姫に王は馬を止め、フローディアを降ろした。

 緑の匂いのする空気に太陽の暖かい光、鳥の囀りに水の音。全てが新鮮に見えて彼女は憎い王が傍にいる事も忘れてはしゃいだ。

 今だけは自分が復讐者である事を忘れてただの少女に戻ったフローディアをリオウは目を細めて見ていた。



 しばらくは嬉しさに我を忘れていた姫だったが、ふと我に返り周りにリオウがいない事に気付いた。


 ドクン


 心臓が高鳴り、嫌な汗が背中を伝うのが分かった。

 ――今なら逃げられる・・・?

 そんな淡い期待が頭を過ぎるがそれをしたら自国の民の命がない事は十分過ぎるくらい分かっていた。

 だが、頭では分かっていても体は正直で次第に駆け足でその場から離れようとしていた。

 ――こんな事をしてはいけない。でも・・・!!

 しかし、涙を零しながら懸命に走るフローディアの耳に馬の走る音が聞こえてきた。
 振り返ると、遠くにアトラスとそれに跨るリオウが見えた。

 ――ああ、何て事・・・。

 あっという間に距離は縮まって、王の怒りに燃えた顔がはっきりと分かり、恐怖で足が縺れた。

 大きく転倒し、草である程度は守られたがそれでもドレスから出てきた腕や足に鋭い痛みが走った。

 うつ伏せになる姫の横にリオウが降り立ったのが分かった。殺される、とフローディアは直感的に思いぎゅっと目を瞑った。

 だが、いつまで経っても剣が振り下ろされる事はなく、代わりに温かく大きな手が彼女の体を包み込んだ。

 ――え・・・?

 戸惑い見詰める先にいたのはまるで親に置いてきぼりにされた子供のような目をしたリオウだった。
 驚くフローディアにリオウは俯き、苦しげに顔を歪めながら振り絞るように声を出した。

 「・・・逃げ出したいくらい私が憎いか・・」
 「え・・」
 「・・それも当然だろう。だが、私はお前を決して離しはしない。何があってもだ」

 顔を上げたリオウの瞳にはもう先程のような悲嘆の色はなかった。

 「どうして私なのですか・・!?私はあなたと何か関係でもあるのですか!?」
 「・・・・・・」
 「どうして・・同盟国であるわが国を滅ぼしたのですか!?」

 それはフローディアが国に来てからずっと思っていた事だった。なぜ自分だけが生き残り、こうして王の傍にいるのだろうか。
 なぜ自国が滅ぼされなくてはいけなかったのか。


 そしてリオウは大きく息を吐くと、フローディアにとっては信じがたい話を始めた。

 「・・・姫は何も聞いていないようだな・・。私はロクスバーグ王に何度も姫を妃に迎えたいと申し出たのだ」
 「!?そんな・・まさか・・」
 「やはり王は姫に伝えていなかったようだな。だがその申し出は悉く断られた。姫にはもう婚約者がいると」

 フローディアの瞳が驚愕に見開かれた。この王は彼女に思い人がいた事を知っていたのだ。

 「・・だがそれで諦められるほど私は大人ではない。手に入らないのなら奪い取るまでだ。そして私は長年の同盟国であるロクスバーグに戦争を仕掛けた」

 今度こそフローディアは息が止まった。それでは自分のせいで家族が民が殺されたと言う事か。

 「私のせいで皆・・・?」

 今にも目に焼きついて離れない、最後の母の表情に弟の恐怖に凍りついた瞳。愛する青年の優しい笑顔。それが全て自分のせいで・・・?


 自然と流れ出る涙をそっと拭ったリオウは呆然と立ち尽くす姫の体を優しく包み込んだ。

 「私を愛せとは言わない。赦せとも言えない。だが・・・傍にいて欲しい・・愛しているのだ」

 憎しみ、涙の元凶である事は分かっていたが、今のフローディアには彼の胸に縋るしか方法はなかった。

 誰かに縋らなければ心が粉々に壊れてしまいそうだった。        











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