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それからフローディアは王の腕にどうする事も出来ずに抱かれたまま、元いた部屋まで連れて来られた。
まさか王までも来るとは思っていなかった侍女達は大慌てで何やら動き始めたが、それを王は押しとどめた。
「私は姫を連れて来ただけだ」
そうしてフローディアを丁寧に下ろすとその場を立ち去ろうとした。
しかし、翻る彼の結ばれた黒髪を見た瞬間、フローディアは反射的に引き止めてしまった。
だが、それは王にここにいて欲しいと言うような甘いものではもちろんない。
「あなたにお聞きしたい事があるのです・・」
勇気を振り絞ってそれだけ搾り出すように言うと、王は意外にも足を止めて振り返った。
それに少なからずホッとして再び口を開こうとするフローディアだったが、それより先に王が、
「・・リオウだ」
「・・・え?」
あまりに唐突のそれにフローディアは呆けた。
その様子に王は少し苛立ったように息を吐きながら彼女に近付いた。
「私の名前だ。これからは名前で呼べ」
尊大な言い方にフローディアは胸のうちでは眉を寄せたが、それを顔に出すほど子供ではない。
彼女の行動の一つ一つに自国の民の命が掛かっているのだから。
「・・・分かりましたリオウ様・・」
「ああ。それで話とは何だ」
背の高い彼に見下ろされるだけで圧迫感で息が苦しい。とても目を見て話す事など出来なかったので、やんわりと視線を外して緊張で渇いた口を開く。
「・・・戦争に参加した私の国の兵は全滅したのでしょうか・・」
「兵?」
女であるフローディアが突然生臭い事を聞いた事にリオウは少し訝しんだが、すぐに兵士もフローディアにとっては大切な自国の民だ。単に案じているだけなのだろうと言う結果に落ち着いた。
「・・ほぼ全滅したが一部は生き延びていると聞いている」
「!・・・そうですか・・」
生き延びている者がいる。
その事実が自然と彼女に笑みを作らせていた。もしかしたらレギンもどこかで生きているかもしれないと言う淡い希望も見えた。
だが、そんな彼女の微妙な心の変化にリオウは気付いた。
「そんなに嬉しいか」
厳しい口調にフローディアの肩がビクリと震える。心を見透かされたような気がしたのだ。
レギンの事が王に知れれば彼がどうなるかは何となく分かっていた。生きているかもしれないレギンを自分のせいで危険に晒すわけにはいかない。
そう思い、何とか誤魔化そうとしたが上手く言葉が出ずにおろおろとするしかなかった彼女の頬に何かひんやりとしたものが触れた。
そのあまりの冷たさに驚いて顔を上げると、それがリオウの指だった事が分かり彼女はますます困惑した。
訳が分からない、と言う風に戸惑いを露にする彼女とは反対にリオウは薄く微笑んだ。
「そう怯えるな。お前は笑った顔が一番美しい」
言いながら優しく頬を撫でる仕草や表情には先程までの民を人質にとる残酷な王の面影はない。
フローディアが逃げない事に満足し、少し笑みを深くするとそのまま彼は去って行った。
一人残されたフローディアはしばらく呆けていたが、侍女の促しにより部屋へ入って行った。
「御髪を整えますわ」
姫の髪はきっちりと結われていたのだが、振り乱したせいで崩れてしまっていた。
おそらくまだフローディアが王に剣を向けた事は伝わっていないのだろう。侍女達はなぜこんなにも乱れているのか不思議そうな顔をしていた。
すると、結われていた髪を丁寧にほどく作業をしていた侍女の一人が堪えられなくなったように口を開いた。
「私、とても驚きましたわ。王があんな顔をなさるなんて」
え、と驚いてその年若い侍女を見れば頬を染めて何やら興奮している。
目をぱちくりとさせるフローディアを尻目に多くの侍女達がそれに大きく頷いた。皆同じ事を思ってたらしい。
「あのようなお優しいお顔、今まで見た事などございません」
「それに姫様を腕に抱いて来られた事も驚きですわ」
「あのリオウ様が女性を気にかけるなんて、本当にあるのですね」
口々に上るのは驚きの声と若い女性特有のはしゃいだ華やいだ声だった。どの侍女も話をしたくてウズウズしていたようだ。
この突然の変化に一番驚いたのが他でもないフローディアだ。部屋を出る時はどの侍女も冷めていて自分に冷たかったのに、今は笑顔すら浮かべている。
ファーフナー王国は基本的に自国主義で他国の物や人を無意識に排除しようとする傾向が昔からあった。
この侍女達も他国の姫を初めは余所者として扱っていたが、自国の王が姫に優しく接する態度を見て、徐々に受け入れ始めたのだ。
侍女にとって自分の世話をする姫が王の寵妃となれば城での身分も上がり、誉となる。フローディアにそれを見出したのも要因の一つだろう。
「リオウ様はよほど姫様にご執心なのですわね」
「もっともっと美しく着飾ればますますその御心を掴む事が出来ますわよ」
「私達の腕の見せ所ね」
クスクスと笑ってフローディアの美しい髪を梳く彼女達は単純に自らの腕の発揮できる姫が現れた事にはしゃいでいるだけかもしれない。
だが、どんな理由にせよフローディアには有難かった。自国では侍女はいい話し相手で友のようだったので、それが居なくなって落ち込んでいたのだ。
――どこの国の侍女も変わらず明るくて華やかなのね。
彼女達の笑い声を聞きながら、フローディアもまた微笑んでいた。
「今夜もお一人で入浴されますか?」
夜になり、本日2度目の入浴をする事となったフローディアに侍女の一人が心得たようにそう声を掛けた。
侍女の気遣いが嬉しく、淡く微笑んでフローディアは一人で浴室へと向かう。
浴室は最初に入ったものとは違うが、また花の香りがした。ファーフナー王国は憎い敵国だが、こう言う心遣いには感謝している。
花の香りを楽しみながら思うのはこれからの事だ。
王に手を掛ける事はもう出来なくなった。そんな事をしたら自分だけではなく自国の民にも被害が出る。
何とか生き延びながら命のある兵についての情報を集めよう。例え兵達を発見しても自分にはどうする事も出来ないかもしれないしレギンのいない絶望を味わうかもしれないが、何もしないよりはずっと良い。
初めて入った風呂とは違い、彼女の瞳には絶望以外の光が見え隠れしていた。
風呂から上がった彼女を待っていたのは、なぜか真剣な顔をした侍女達であった。
まだ水滴の落ちる姫をそのまま化粧台の前に座らせて髪を乾かしたり、香料を付けたりと念入りに飾り立てようとしている。
突然の事になすがままにされていたフローディアだったが、これから寝るだけなのにこれはおかしいと思い、侍女に声を掛けた。
「あの・・ここまでしてもらわなくても寝るだけですから・・」
「・・私達は皆姫様を飾り立てたくて仕方ないのですわ。申し訳ありませんがもう少し私達の我侭に付き合ってくださいませ」
懇願されては否とは言えない。どうも腑に落ちなかったがそのまま侍女達に任せる事にした。
そして一通りの仕度が終わるとろくに話もせずに部屋から出て行ってしまった。
フローディアは最後まで頭を捻ったが、誰かにあまり親しくするなと言われでもしたかと自分なりに納得させて柔らかなベッドに潜り込んだ。
不思議な夜だった。一切の音を消した静かな静かな夜だった。
フローディアは何度目かの寝返りを打って溜息を一つ落とした。
どうも今夜は眠れそうもない。今日一日で様々な事があったのが大きな原因だろう。
ついにフローディアは無理に眠る事諦めて、ベッドから起き出して月明かりの差し込む窓に近寄る。
今夜は珍しく綺麗な満月だ。おかげで灯りがなくても大丈夫なのだが、フローディアにはその大きな満月が不思議と不気味に思えた。
「月に魅入られたか」
自分の他に誰もいるはずがないのに、その人物はふてぶてしいまでに堂々とそこにいた。
「・・!・・リ、リオウ様・・なぜここに・・」
声が上ずっているのが自分でも分かった。足は自然と後ずさりをし、窓に背中を預ける形となる。
「男が夜を忍んで来たのだ・・・この意味が分かるか」
「―――っ!!」
理解してしまった。王がなぜここへ来たのか分かってしまった。
いつかこんな日が来る事は分かっていたが、こんなにも早いとは予想していなかった。
「いや・・誰か・・!!」
咄嗟にリオウの背後にあるたった一つの扉に目がいった。半ば本能的に駆け出して部屋から出ようとしたが、
「呼んでも誰も来たりしない」
あっさりと捕まって、リオウの逞しい胸の中に抱き込まれる。
彼の香料であろう、爽やかなミントの香りに気付いた瞬間、フローディアは狂ったように暴れだした。
「いやぁ!離して!助けて・・・レッ・・」
レギン、と思わず叫びそうになったがそれは彼女の口から発せられる事はなかった。
その前にリオウが彼女の唇を塞いだのだから。
見開いた目にはぼやけた男の長い睫毛だけが見えた。その口付けは乱暴な行動とは裏腹に酷く優しく、壊れ物を扱っているように繊細で丁寧だった。
深いそれに、キス自体に慣れていないフローディアは息が出来ずに、そのうちに力なくリオウに寄りかかった。
それに気付いた王は唇を一旦離して優しく姫の腰を抱き、ベッドへと誘った。
「お前はただ私に身を任せていればいい・・」
そうしてまた姫の甘い唇を奪う行為に没頭するリオウとただ力なく涙するフローディアを月だけが孤独に照らしていた。
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