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ファーフナー城の王座の間には大臣や将軍など、国の重要人物が珍しく勢揃いをしていた。
その顔は思案や困惑、驚愕など様々であったが、ただ一人、宝石で飾り立てられた豪勢な椅子に座る男だけは終始口の端を持ち上げて、笑みを浮かべていた。この国の王である。
ロクスバーグの姫が城に到着したと報告を受けてから、早くこの目で見たいと急く心を押し留めて来た。だが、やはり体は正直で自然と顔は笑みを彩っていく。
普段は笑顔など皆無である王の豹変振りに多くの部下は目を白黒した。そして、王にそんな顔をさせる姫とはどんな人物なのかと興味を持った。
人々がざわつく中、突然王が軽く目を見開いた。侍女が一人、入って来たのだ。
「王、フローディア様のお支度が整いました」
そう言って深々と頭を下げる侍女に王は目を細めて一言、連れて来いと命じた。
侍女はまた深々と頭を下げてその場から優雅に立ち去った。
王も他の人々もいよいよか、と息を呑んだ時、扉がゆっくりと開かれて一人の少女が二人の兵に守られるようにしながら入って来た。
少女が入って来た瞬間、思わずと言うような驚愕の歓声が上がった。
美しい姫だとは聞いてはいたがこれほどとは思ってはいなかったと言うのが正直なところであろう。大抵噂と言うものは大げさに言われるものなのだ。
だが、この姫は染み一つない絹のような白肌に栗色の柔らかそうな髪の毛を結い上げ、見えるうなじが美しい。憂いを含んで伏せられた瞳は光に反射して様々な色を見せる。豪勢なドレスにも負けない輝きがそこにはあった。
一方、フローディアは歩きながら人々の刺すような視線をひしひしと感じ、終始俯き加減で相手の顔を見ないようにしていた。
囁き声がそこらじゅうから聞こえ、自分が見せ物状態になっている事は明らかで、恥ずかしさと悔しさで思わず歯を噛み締めた時、隣にいた兵士の足が止まった。
そしてすぐにその場に膝を着いて礼を取る兵士達に目の前に王がいるのだと悟る。
憎い敵王に頭など下げたくはなかったが、兵士にも促されしぶしぶながらも膝を折った。
王から顔を上げるように言われなければ、いつまでもこのままだ。屈辱に耐えながらも頭を下げ続けるフローディアになかなか王の言葉はかからない。
息を詰めて豪勢に磨かれた床を睨みつけるように眺めるフローディアに王の笑い声が降って来た。
それを聴いた瞬間、フローディアは全身の毛が逆立つような奇妙な寒気を覚えた。
だが、次の瞬間には血が沸騰するほどの怒りを感じた。
馬鹿にするような蔑んだような、それでいて満足そうなその笑い声は明らかにフローディアを軽んじているように感じる。
今すぐにでも立ち上がって罵声を浴びせてやろうかと体を起そうとした時、すっかり静まり返った広間にコツンと足音が響いた。
その足音はゆっくりとフローディアの方へ近付いてくる。その人物が誰であるかはもう彼女には分かっていた。
俯いた視界の先に、男物の高価そうなブーツが見えた時、突如耳鳴りがし始めた。
憎んでも憎みきれない男がすぐ傍にいる。
爪が食い込んで肌が悲鳴を上げるほど手を強く握った時、目の前の王がようやく顔を上げるように告げた。
必死に心を落ち着かせながら顔を上げた先にいたのは想像とはかなり違った人物であった。
王にしてはひどく若い男であった。おそらくはフローディアと同じか少し上くらいで、20歳前後だろう。この辺りでは見かけない黒髪を長く伸ばし、後ろで一つに括っている。象牙色の肌に映える水晶のような透明感のある紫の切れ長の瞳は不思議な輝きを持って彼女を見詰めている。
この神秘的な美しさを放つ男が憎んできた敵王だとはすぐに思えずに目を白黒させる彼女を王は繁々と眺めると、目を細めた。
「やはりそのドレス似合うな・・・美しい」
王女であるフローディアには凡庸な褒め言葉であったが、それには今まで感じた事の無いニュアンスを含んでいるように感じた。
射る様に見てくる王の視線に耐えかねて、フローディアが反射的に横を向いた時、思いがけずそれは起こった。
――あれは・・・剣・・。
傍で今だ礼をし続ける兵士の腰に下げていたものは間違いなく人を殺すための物、剣であった。
それを見た瞬間、フローディアは不思議な高揚感を感じた。
手を伸ばせば届く所には剣。そして目の前には憎い敵。フローディアが望んだ最高の展開がそこにはあった。
――今しかないわ・・・!!
緊張のため固まった体を解す為に一度大きく深呼吸をしてからすばやく手を伸ばして兵士から剣を抜き取った。
すぐに気付いた兵士は慌てたように立ち上がったがフローディアの方が早かった。
「国の敵よ!!」
鋭く叫ぶと王に向けて切っ先を突き出した。
その場にいた誰もがもう駄目だと青ざめたが彼女の一世一代の大勝負は一人の男によって簡単に打ち破られた。
もう一人、兵士が傍にいた事を忘れていた。彼女の繰り出した一撃はその男によって弾き返され、その衝撃で彼女は唯一の武器である剣を手放してしまった。
「・・・っ・・!!」
「この女!王に剣を向けるなど・・・!!」
逆上した兵によりその場に勢いよく倒され、全身を強く打ったフローディアは小さく呻いた。
王に刃を向けた事は即ち死を意味する事はフローディアも理解していた。
振り上げられる剣を空ろな目で見詰めるフローディアの目には敵兵ではなく、今はもういない父王や母、弟、愛するレギンの姿が映っていた。
せめて一太刀でも憎い敵に加えたかったが、それも不可能となった今はただ皆の待つ、安らかな死だけが彼女の望みとなっていた。
――今、お傍に参ります・・・。
すぐに襲ってくるであろう衝撃に耐えるために目を閉じたが、いつまでたってもその痛みは訪れなかった。
その代わりに、生暖かい液体が顔に落ちてきて、驚いて目を開けたフローディアは咄嗟に悲鳴を上げていた。
降って来た液体はどす黒い赤で、それが何なのかはすぐに分かった。自分を殺そうとしていた敵兵の血だ。
なぜ男が血を流すのか意味が分からないフローディアはただ無言で苦しげに眉を寄せて倒れていく男を見ているしかなかった。
「あ・・・!?」
男が倒れた事で視界が開けた。男の背後にいたのは無表情に立つ王であった、しかもその手には血塗れた剣が握られている。
「ど・・うして・・」
それはその場にいた全員の疑問であっただろう。なぜ王が何の罪もない自国の兵を手に掛ける必要があるのだ。
疑惑の目で見られても、王は涼しげな顔でフローディアに近付くと彼女の顔に手を伸ばし、頬に付いていた血をそっと拭った。
そして彼女に笑みを向けたが、それは笑顔と言うにはあまりにも不自然で艶やかで、また残酷な美しさがあった。
完全に凍りついたフローディアを軽々と抱き上げて自分の胸に収めると、王は息絶えた男を侮蔑を込めて見た。
「フローディアに手を掛けようなどと・・・死を持ってその罪を償うがいい」
吐き捨てるように言った後、今だ呆然としている臣下達に向かって声高に宣言した。
「ロクスバーグの第一王女、フローディア姫は今、この瞬間から私の正妃となる。彼女を傷付けるような行為をした場合はこの男のようになる事を覚悟するがいい」
言うなり、反論しようとする臣下達を一睨みで黙らせ、早々に広間から出て行ってしまう王に誰一人声を掛けられる者はいなかった。
「離して下さい!!私に触らないで!!」
震える体を懸命に動かして、男の腕から逃れようとしたが、効果は皆無に等しかった。
「腰が抜けて歩けないだろう。大人しく抱かれていろ」
「・・・っ・・」
図星であったためこうなっては言い返す言葉もない。
悔しげに唇を噛み締める彼女を呆れたように見ながら、王は一つ釘をさした。
「もう私の命を狙おうなどとは思わない事だ。でなければお前の大切な者達が苦しむ事となる」
「・・・どういう意味ですか」
「ロクスバーグの民の命がお前の行動一つにかかっている」
ぎくりと姫の肩が揺れたのを王は見逃さない。
「自国の民が大切ならば大人しくしているのだな」
「民を人質にしようと言うのですか・・・!!」
「お前が何もしなければ保護になるだろう」
大きな瞳を濡らして顔を伏せる姫に王は哀れみとも侮蔑とも慈しみとも取れる複雑な眼差しを向けて、その唇を彼女の耳元に寄せた。
「お前はただ私の傍にいれば良いのだ」
そして、彼女の花の香りのする髪に静かに口付けを落としたのだった。
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