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 「・・今頃、王は戦地に着いている頃でしょうか」

 背後から掛けられた声に姫はようやく窓から視線を外した。

 「・・ええ・・」

 答えながらまた窓の外を眺めるフローディアにリリィは苦笑しながら手にしていたティーカップを置いた。

 「そこからでは見えませんわよ」
 「・・分かっているのだけど、つい・・・」

 姫がリオウの身を案じているのだとリリィは理解していた。王の気持ちがやっと通じた事に嬉しく思いながらも少し複雑な気持ちがある。しかしそれはあくまでリリィ自身の問題である。

 「・・王は無事に帰ってくるかしら?」

 テーブルに着いて用意された紅茶を見詰めながら姫は震える声を押さえながら密やかに言うと、リリィの菓子を手にしていた手がビクリと動いた。

 それを目の端に捉えて、フローディアの瞳にますます陰りが出来る。

 「・・そんなに大変なの・・?」
 「・・ええ。これがただの反乱でしたら何てことはないのですけれど、今回のお相手が王の叔父上様ですので・・」
 「叔父様が・・・どうして血縁同士で・・」
 「血縁だからこそですわ。王族である姫様なら分かっているはずです」



 確かに王族ならばそれはいつの時代も付き纏う問題である。普通なら子供、兄弟は多い方が良いが王族の場合は一概には言えない。
 男子が2人以上生まれると、それは王家の安泰ではあるが同時に熾烈な継承権争いが始まる。幸いフローディアの生まれたロクスバーグ王室では父も弟も男子一人であったので血なまぐさい争いを彼女は知らない。

 だが、知識としてはある。血の繋がった兄弟で剣を持ち合い殺し合う。


 「・・恐ろしい事です・・」
 「はい。それに叔父上様は支持者も多く、王は・・・」
 「・・彼は蛮族と言われる血を宿している。認めていない方もいるそうですね」
 「・・・王は誰よりも立派な方ですわ」

 リリィもやり切れないのだろう。自分ではどうしようも出来ない生まれのせいで苦しむ理不尽さを彼女は誰よりも知っているのだから。


 重苦しい空気が辺りを包み、姫が紅茶を飲むかすかな音だけが定期的に聞こえるのみであった。

 侍女はフローディアに気付かれないように溜息を吐いた。

 姫を元気付けたいが、情勢をある程度把握している彼女に余計な事は言わない方がいいだろう。おそらく自分と同じ気休めが欲しいのだろうが、それを与えてやる余裕は彼女にはなかった。


 ――王・・・。

 彼が軍を進めて言った方角を無意識の内に見やる。すぐに姫と同じく無意味な行動をしていると気付くがそれでも止める事が出来なかった。











 戦の報告がろくにないまま1週間ほどが過ぎた頃、それは何の前触れもなく起こった。


 夜も更けて、姫も普段なら深い眠りに入っているはずであったが、その日は無理矢理に覚醒させられた。

 「・・・何かしら・・?」

 ぼんやりと身を起すと、喧騒な声が耳に入ってくる。静寂なはずの王城の夜、こんな事は今までになかったはずだ。

 不審に思い、ショールを肩に掛けて恐る恐る扉を少しだけ開けるとより大きな罵声や悲鳴が聞こえてきた。


 ドクン


 悲鳴を聞いて、フラッシュバックする光景がある。ファーフナーが城まで攻め入ったあの日だ。

 まさか敵がもう城まで攻め入ってきたのか。では、リオウは―――?


 「嫌・・」

 悪寒が襲ってきて、ガタガタと震える足を叱咤しながら部屋の中央へと行く。

 「嫌よ・・・だって私やっと気付いたのに・・・」

 また会える。そう信じたからこそ戦地へ赴くリオウに何も言わなかった。会えると信じていたから。


 力が抜けてその場に崩れ落ちる。逃げようとも思えなかった。これ以上愛する人が失われる事に耐えられない。もう見たくはない。だったらいっその事―――

 「・・駄目だわ」

 まだリオウが死んだと決まったわけではない。彼を信じようと決めたのだから。もう一度その紫水晶を見るまでは死ぬ事は出来ない。

 涙を拭い、フローディアは大きく目を開いた。どこかに避難しなければならない。ここは王宮でも奥にあるがいつまでもここにはいられない。

 取りあえず部屋から出たが、すぐにフローディアは困り果ててしまった。

 「どこに逃げればいいの・・・?」

 敵が城に侵入しているのならどこへ逃げても同じだろう。それに姫は城を完全に把握出来ていない。

 迷っているうちに足音はドンドン近付いて来る。

 焦った姫に残された場所はもう一つしかなかった。リオウが幼少時軟禁されていた部屋である。あの部屋は城の中でも一番の奥にあり、分かり辛いはずだ。






 出来るだけ音をたてないように足早に廊下を進みながらようやく部屋の前までたどり着いた。そこまでの運動量はなかったが敵に見付かるのではと言う恐怖心のせいで息は乱れ心臓は激しく脈打っている。

 「リィ・・・私を守ってね・・」

 月明かりだけが汚れた窓から仄暗く差し込んだ部屋は変わらずにどこか不気味な様であったが姫は少しも怖いとは思わなかった。

 恐らく彼の血であろう染みのついたベッドを撫でながら、収まったはずの涙がまた零れた。

 彼の苦しみを思うと胸が痛い。あんなに憎んだ相手であるのに今は会えない時間が辛い。



 部屋の前に聳え立つ大木の葉が掠れる音を聞きながら涙を抑えようとしていると、突然ドアが激しく叩かれた。


 「!?」

 一瞬にして現実に引き戻された彼女は扉を凝視しながら一歩一歩後ずさりをした。

 敵がこの近くまで来ている事に全く気付かなかった。自らの鼓動と共にドアの向こうにいる敵兵の声がかすかに聞こえてきた。

 「鍵が・・っている」
 「開けよ・・・こに・・おられる・・・ない」

 このままではドアをこじ開けられてしまう。咄嗟に唯一つの逃げ道である窓に飛びつく。

 錆びた窓は素直に開いてはくれない。だが、必死の姫の願いが通じたのか何とか人一人通るスペースを確保出来た。

 しかし窓が開いた時に思いがけず大きな音が出てしまったので、

 「!?今、音がしたぞ!!中に誰かいる!!」

 外にいた敵兵にも気付かれてしまった。
 激しくドアを叩く音がして、ミシミシと軋む音までも聞こえてきた。古いドアだ、すぐに破られるだろう。

 姫は必死に隙間に体を滑り込ませて接近している木の枝に足を降ろす。


 が、


 「!?きゃっ・・・!!」

 細い枝であったために簡単に折れてしまった。ガクンと体が落ち込み悲鳴を上げかけたがすんでのところでそれを飲み込んだ。

 バキバキと枝を折りながら落下する体。背中が痛むが、今以上の痛みが襲ってくるだろう事が分かっているので硬く目を瞑る。


 そして枝を抜け、地面に叩きつけられる体は確かに何かにぶつかったのだが痛みはほとんどなく、むしろ暖かささえ感じるものに包まれた。

 「え!?」

 驚いて開いた目に飛び込んで来たものは腰に付けられた剣であった。
 瞬時に敵だと悟ったフローディアはもがいて何とか敵の手から逃れようとする。

 「いや!離してぇ!」
 「姫!!落ち着いて・・・姫!・・フローディア!!」

 怒鳴られたから振り回す腕を止めたのではない。自分を姫とフローディアと呼ぶ声に腕が止まったのだ。

 しかもその声はとても懐かしいもので、もう二度と聞くことはないと思っていたものだった。


 「嘘・・・だって・・・そんな・・」
 「俺の事忘れちゃった?」

 おどけるように言う声まで何もかも同じだ。確かめるように手を伸ばして頬を触ると、笑った事が指先から伝わってきた。


 段々と暗闇に目が馴染んできて、ようやくフローディアはその名を呼ぶ事が出来た。


 「レギン・・・」  











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