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 リオウは言葉通り、次の日もまた次の日も毎日欠かさずにフローディアの見舞いにやって来た。自身の傷も癒えていないのに無理を押しているのは誰の目からも明らかであったが、彼を止める事が出来る者などいるはずもなかった。




 「姫様・・王がいらっしゃいましたわ」

 朝の忙しさも一段落した時、リリィが笑顔でフローディアに言ったのはもう何度目になるだろうか。

 「・・・そう。入ってもらって下さい・・」

 初めは戸惑って王の顔を見る事もままならなかったが、今では彼が来る事が当たり前となっている自分に驚きすら感じる。


 少ししてから王がゆっくりと室内へ入って来た。その足取りは大分しっかりとしたものになっていた。

 「姫、気分はどうか。大分顔色も良いと見えるが」
 「・・・はい・・」

 会話が弾むと言う事はないが、それでもその場に殺伐としたものはもう無かった。リオウはそれが嬉しくて仕方がなかった。
 彼女に許されようなどとは思っていないが、憎まれたままと言うのも辛かったのは事実だ。それが少しでも和らいでくれるならば彼にとっては喜ばしい事であった。


 リオウは珍しく声を弾ませて姫に一歩近付いた。

 「姫、出掛けるぞ。支度をしろ、遠出をするのでな」
 「え・・・」
 「王!そのようなお体で遠出など・・」

 呆然とするフローディアであったが、リリィの非難の声にすぐにはっとした。

 「私の体などもうよい。このままでは体が鈍ってしまうくらいだ」
 「ですが・・!」
 「姫も外へ出た方が体に良いだろう。姫の支度は任せたぞ。後ほどまた来る」

 言うなり王は身を翻して早々に部屋を後にした。残された者達は皆突然の事に呆気に取られていたが、王に命を受けたのだと気づくと急いで行動を開始する。それはリリィも同様であった。

 「仕方ありませんわ・・姫様、着替えを致しましょう」
 「で、でも・・・」


 確かに城から出る事は姫にとっても嬉しい事ではあるが、どうしても前に王と遠出をした時の事が頭を過ぎる。また自分は逃げ出そうとするかもしれない。

 彼女の不安を察したのか、リリィが慰めるように語り掛けた。

 「大丈夫ですわ。あの時とはお二人とも違うのですもの」
 「違う・・・」

 リリィは分かっていたのだ。フローディアの中に目覚めた感情に、リオウの温かみの宿る瞳に。

 「大丈夫」

 言い聞かせるように繰り返す侍女に姫は少しだけ緊張を和らげた。









 やはり移動手段はリオウの愛馬、アトラスであった。彼は姫を覚えていたようで前よりも幾分警戒を和らげた。

 「アトラス、姫を覚えていたか。今日も少し遠出をするので頼むぞ」
 「・・あの・・一体どこへ・・」

 おずおず、と言う風に聞いて来る姫を愛おしそうに見ながら王は軽々と馬へと跨った。

 「姫の喜ぶ場所だ。来てみれば分かる」

 いたずらっ子の様に瞳を輝かせて紳士的に手を差し伸べるリオウを不思議そうに見詰めながらも姫は無意識にその手を取っていた。

 ぐいっと引っ張るだけで身軽な姫の体は宙に浮いて、王の前へと降り立った。前は嫌悪しか感じなかった密着した状態に体が熱くなるのを感じる。

 「今日は邪魔者もいるが、出発するぞ」

 邪魔者、と聞いて後ろを振り返った姫は5人の馬に乗った兵がいるのを知った。どうやら二人の護衛をするらしい。よく考えたら当たり前のことだが、リオウに限ってはそれが珍しく思えて目を瞬かせた。

 「姫、ぼうっとしていては振り落とされるぞ。出発だ」

 彼女を守るために回された手であるのに、妙に意識してしまう。だが、ドキドキしている暇もなかった。すぐにアトラスは走り出し、後はもう夢中で掴まっているしかなかった。









 「着いたぞ、姫。体は大丈夫か」
 「着いた・・・え・・わぁ・・!」

 閉じていた目を開けると、初めはその眩しさに目が眩んだが徐々に周りが見え始めると姫は思わず感嘆の声を上げていた。

 一面に広がる花畑。そよ風に揺られて花弁を散らせる姿はとても美しかった。

 「綺麗・・・でも、どうして・・?」

 無意識に呟かれたそれは風に乗ってリオウの耳に届けられた。

 「・・ディーは昔から花が好きであったろう」

 フローディアが肩を大きく震わせた事に気づいたが、リオウはあえてそれを無視してさらに続けて言った。

 「・・逃げ出したければ逃げても良い。もう止めぬ」


 ――え・・・・・っ!?


 言われた意味が理解出来ずに数秒立ち尽くしていた後に慌てて彼の姿を探したが、見えたのは遠ざかっていく小さな背中だけだった。


 ――本当に・・逃げ出してもいいと言うの・・!?


 不思議と喜びの感情は湧いてこず、沸々と戸惑いと混乱が巡り始める。

 どうして突然あんな事を言ったのか。もう自分は必要ないのか。自分が逃げたら自国の民はどうなるのか。


 そして芽生えた一つの感情と答え。


 いやだ。彼にもう会えなくなるなんて。どうしてこんな事を思うのか。

 ――ああ、そうか・・・。


 答えなど始めから分かり切っていた事だった。それを認めたくなくて足掻いてきたが、どうやらそれも限界だったようだ。

 これを認めてしまえば自分はもうロクスバーグの姫としての資格はない。裏切りだと十分すぎるほど理解している。だけどもう・・・


 「もう・・・いいよね・・・お父様、お母様、マルス・・・レギン・・」


 今でも勿論レギンの事は好きだ。だが、それ以上にリオウを放っておく事は出来ない。あの孤独で可哀想な王を。

 同情なのかもしれない。だが、それでもいい。彼は変わってはいなかったから。幼い頃のままに、優しく繊細でひどく臆病な少年だ。


 ゆっくりとフローディアはその場に屈みこむと、薄紫の花を一輪手に取った。その顔にはファーフナーに来てから初めてとも言える心からの笑みがあった。





 「姫・・・どうしてまだいるのだ・・・」

 1時間ほど経った頃、リオウが戻って来、姫の姿を認めて珍しく狼狽の姿を見せた。

 「方角が分からなかったのか・・・?」
 「・・・え?」
 「それとも、自国の民が気がかりとなったか?それなら大丈夫だ、殺すような事はしない。約束しよう」
 「ちょっと・・・?」
 「今からでも遅くはない。逃げよ」


 リオウはきっと喜んでくれると思っていた姫は戸惑いを隠しきれない。本当に自分が逃げ出す事を望んでいたようだ。

 「・・・私は逃げたり致しません。誰の意志でもない・・これは私の意志なのです」

 声の震えは押さえきれない。拒絶されたら、と思うと体に震えが走る。

 「・・それで本当にいいのか・・ディー・・」
 「はい」
 「・・・そうか・・」
 「・・・・・・」
 「・・正直、逃げてくれた方が良かったのではないかと思っている」

 拳を強く握る。食い込む爪の痛みなど感じないほど強く強く。

 「このままここにいては姫にも危険が及びかねない・・・そう分かってはいるのだが、姫がここに残ると言った時、喜びで息が止まった」

 口では逃げるように促しながら、心では全く別の事を思っていた。


 行かないで欲しい。ずっと傍にいて欲しい。


 「・・・一体どう言う事・・?」

 姫にとっては全く先の見えない話だった。リオウが何に葛藤しているのかも理解出来ない。それもそのはずである。これを知る者は王宮内でも稀であるのだから。


 「・・反乱だ。私に対する・・・。戦争が、起こるのだ」  











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