14
フローディアの焦点の合わない瞳が一番最初に映したのはこの世で最も憎んでいるはずの青年の悲痛な顔であった。
その顔が記憶の隅にあった少年の姿とダブって見えて、無意識の内に口にしていた。
「リィ・・・」
「!!」
それに反応してリオウは姫の顔を凝視した。その瞳には驚きと確信が含まれていた。
「姫・・やはり、思い出したのか・・・?」
真摯に見詰められて、思わずと言う様にフローディアは顔を背けた。彼の言っている事の意味は十分すぎるほど理解していた。理解出来たからこそリオウの顔がまともに見れなかった。
「・・・ディー・・・」
熱く狂おしい思いを吐き出すように囁かれたものは熱い吐息と共に姫の耳に届いていた。
ズキズキと胸からは絶えず痛みを覚え、それが自分の犯した罪深さを確認させている。
「わ、私・・・」
「何も言わなくていい。いや・・言わないでくれ」
「でも私・・・あんなに大切な事を忘れていて・・」
「それは姫のせいではない。姫は私を庇ってくれた・・」
あの後リオウとフローディアは憲兵に見付かってしまった。リオウの黒髪を見た兵は激情して彼を無理に引き戻そうとした。
それは王子に向けるにはあまりにも横柄で非道な振る舞いであった。傷ついていくリオウを見ていられずに、姫は憲兵を止めようとした。
だが、救いを求める声に答えて伸ばされた手は届く事はなかった。
その手は無残にも憲兵に振り払われ、跳ね除けられた幼い少女の体は木の幹へと叩きつけられた。
「きゃぁ!!」
「!ディー!!」
ぐったりと動かない少女の元に駆け寄ろうとした少年はあと少しで手が届くと言うところで後から駆けつけてきた兵に止められた。
「ディー!!ディー!!!」
頭を打ったのか、意識の無い少女に必死に叫びかけるが返事はない。ズルズルと遠ざかっていく彼女の姿をより長く記憶に留めておこうと、リオウはずっとただフローディアだけを見ていた。
もう会う事はないかもしれない。だから最後くらい笑顔を見せて欲しかった。
「・・あの時頭を打っていたようだから、記憶が飛んでしまったのだろう。姫のせいではない」
「・・・・・・」
どうしたらいいのか分からない、と言ったような姫にリオウは苦笑する。
「・・随分昔の話だ。姫が責任を感じる必要はない・・ずっと私を恨んでくれていいのだ。私は全てを奪ったのだから」
「・・・っ」
確かにリオウの言う通りだ。彼は国を滅ぼし両親を、弟を民を殺し、彼女の大切な婚約者までも奪った。今更過去を思い出したからと言って全てを許す事なんて出来るはずもない。
だが、もう今までのように恨みだけで彼を見る事は不可能だった。今までも必死に言い聞かせてきたが、もう限界だった。
――私はもう彼を殺そうとは思えない。
当初はリオウを殺して復讐をしようとしていたが、今では民を人質にとられなくても彼を手に掛けようとは思えない。
――これは裏切りだ。死んでいった沢山の人々に対する裏切りだ。
感情に任せて行動する事ももちろん出来るが、彼女は違った。一国の王女だ。その行動には沢山の責任が付いてまわる。
「・・・・・・」
苦しい胸の内を明かす事も出来ずにただ俯く事しか出来ない。彼女の揺れる瞳はリオウからは見えなかった。
「姫を手に入れる事が出来るなら何でもしようと思った。例え恨まれても憎まれても、ただ傍にいてくれればいいと・・」
初めは本当にそれだけでよかった。どんなに罵られても近くに傍に姫の存在を感じる事が出来るだけで満足だった。
だが、そうする内に段々と欲が生まれてきた。
あの時見た微笑をまた見せて欲しい。
明るい声で名を呼んで欲しい。
そして願うだけでおこがましい願いを抱いてしまった。
・・・愛して欲しい。
「・・姫が思い出したからと言って何かを強要する事もしない。これ以上苦しい思いもさせない。だから、食事だけはしっかり摂ってくれないか」
「食事・・・?」
「最近まともに食べていなかったと聞いた」
「あ・・・」
フローディアはリオウがなぜこんなにも不安そうにしているのか分かった気がした。彼は自分のせいで姫が衰弱していると思っているのだ。
確かに最近、フローディアは思い悩んでいた。だが、それはリオウに対する恨みや苦痛などではなく自分の気持ちに混乱していたからだ。
だが、それを知らないリオウは誤解をしていた。
「ちが・・・」
悲しげに微笑むリオウに咄嗟に違う、と言おうとしたが、すんでの所で言葉を飲み込んだ。
言いよどむフローディアにますます苦笑を深くするリオウは億劫そうに立ち上がる。
瞬間、息が出来ないほどの激痛が胸から体中に伝わり、生理的な汗が額に滲む。
グラリと傾いた体を支えようと伸ばされた彼女の手が10年前とそれと重なる。
頼りない細腕でもしっかりとリオウを支えた彼女の瞳をその時彼は初めて間近で見詰めた。
戸惑い。焦燥。混乱。焦り。色々な感情が渦巻いて揺れている。
「・・・姫・・?」
その瞳が何かを訴えているように思えたのは気のせいだったのか。フローディアはすぐに顔を背けると慌てて手を外した。
その様子にどこか違和感を覚えたが、別段気にする事はせずに今度こそしっかりとした足取りで立ち上がった。
「・・姫にとっては苦痛でしかないだろうが・・また来る・・」
断定で言われた言葉であるはずなのに、それは問い掛けのようにフローディアには感じられた。
冷たく威圧的にしか感じられなかった深紫の瞳は恐怖とほんの少しの期待が覗いていた。
胸をつかれた姫が何も言えずにいる内に扉は開かれ、そして静かに閉められた。
パタンと言う音と共に、フローディアは押さえ込んでいたものを吐き出すかのように深い息を吐いた。
「・・・リィ・・・私は・・・」
しかし、呟かれた言葉は扉の向こうまで届くはずもなかった。
暗く深い深い森の奥。動物達しか住まわないそこに質素な屋敷がひっそりと佇んでいた。
「・・・王・・時は来ました」
しゃがれた声はひどく不気味であり、その姿も闇に溶け出してしまいそうなほど全身黒ずくめであった。
その老人が王と拝める人物は、その姿を見て目を細めた。
「私を王と呼ぶか・・・貴様は私が王と思うか?あの穢れた若造ではなく私を」
「当然でございます」
予想通りの答えが返ってきた事に満足したのか、男は口元を少し吊り上げた。
「・・・それで、時が来たとはいかなる意味だ」
「あなた様が王となる時が来たのです」
「ほう・・・」
「王都の餓鬼がロクスバーグの姫を娶った事はご存知ですね?」
姫、と聞いて男は鼻を鳴らした。今まで誰も相手にしなかった男が突然妃を娶ったと聞いて衝撃を受けたのは最近の事だ。
「奴め、随分とその姫に執心のようで王宮の者どもは世継ぎの誕生かと気を急いているようです」
「それは厄介な話だ。世継ぎなど残されては私の邪魔になるだけだ」
「そう考えて私も早々に姫の方へ暗殺者を差し向けたのですが、どうやら失敗したようです」
「貴様の暗殺者などもはや期待しておらぬわ」
これまで何度となく差し向けた者達は悉く返り討ちにあったと聞く。それほど奴は侮れないのだ。
全く、忌々しいにもほどがある。
「これ以上手をこまねいているわけにもいきませんので、この辺で一つ兵を挙げようかと思いまして」
「何・・・?」
男の顔を驚愕に染める事が出来た事に満足したのか、老人はにやりと気味の悪い笑みを浮かべると年齢に似合わない力強さで持って断言した。
「今こそ奴・・・リオウめを引き摺り下ろすのです。そしてあなた様が玉座に君臨なさるのです」
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