13
その日はロクスバーグ王国とファーフナー王国の国交300年の記念式典がファーフナーの王宮で行われていた。
ロクスバーグからは国王と数名の大臣や貴族達、そしてこれが社交場デビューとなる国王の幼い愛娘、フローディア王女が出席をしていた。
姫はまだ国から出た事はなく、専ら王宮で過ごしていたので良い経験になるだろうと言う国王自らの計らいであった。
「お父様ぁー、ディーつまんない」
盛大なパーティーが開かれ、誰もが表面上は楽しげに語らったり踊ったりしている中で一人、不満を露にした少女が一人。
頬を膨らませて服を引っ張る娘を見詰める王は苦笑しつつ、膝を曲げて娘と目線を合わせた。
「そんな顔をしたらせっかくの可愛い顔が台無しだよ。お父様はディーにはいつも笑っていて欲しいな」
「だってつまらないんだもの」
確かに格式ばったパーティなんてまだ8歳の子供には退屈以外の何物でもないだろう。
やはりまだ早かったと内心で思いつつ、剥れるフローディアの小さな右手を攫う。
「それじゃぁ少し庭を散歩しようか。綺麗な庭だったからきっとディーの好きなお花も沢山あるよ」
「うん!」
先程までの膨れ面が嘘のように、今は満面の笑みだ。つられてこちらも笑顔になるのは禁じえない。一国の王も所詮はただの人。娘には甘かった。
「うわぁ!すっごく綺麗ね!」
さすがは王宮の庭である。花々は咲き乱れ、よく整えられていた。花が大好きな姫は喜んで駆け出していく。
王もそれに続こうとしたが、部下に呼び止められてそれは叶わなかった。
「ディー、すまないねお父様はお仕事が出来てしまった。一人で大丈夫かい?」
「・・うん!お花さんと一緒にいるから大丈夫よ!」
「それは良かった。あまり遠くへ行くんじゃないよ」
言って、去って行く父の背中をもう何度見送った事だろう。父が忙しい事は理解出来ていたし我がままを言って困らせるつもりもないが、やはり少し寂しい。
拗ねた様に右足で少し土を撫でてから気を取り直して歩き出す。
咲き乱れる花々を見ていると沈み込んだ気持ちも自然と浮上してくる。
足取りも軽く、どんどんと庭を進んで行くと一本の大きな木が目に入った。
「わぁ〜」
初めて見る大木に感嘆の声しか出てこない。齢数百年と思われるその木は堂々と立っており、まるでこの庭の主のようだ。
太い幹を撫でながらグルリと一周したところでホッと息を吐く。
その時、葉の擦れる音に混じり微かに何かが聞こえてきた。
初めは空耳かとも思ったがそうではなかった。
嗚咽とすすり泣く声。それはあまりにも苦しそうで悲しそうで、フローディアはいてもたってもいられなくなった。
音源はどこかとキョロキョロと見渡した後、ハッとして上を見る。
視界のほとんどは木の葉で覆われていたが、その隙間に光る物を見つけた。
「・・・窓・・?」
ここは庭の奥で、王宮の一番端である。部屋があっても人がいるなんて思いも寄らなかった。
だが、確かに上の、あの窓の辺りからすすり泣く声が聞こえてくる。しかもまだ幼く自分と同じくらいの年の――
「・・男の子?」
ますます不思議に思ったが、泣いているのを放っておく事は出来ない。フローディアは意を決して口を開いた。
「ねぇ、誰かいるの!?」
ピタリと泣き声が止んだ。それは肯定を意味する事だった。
「泣いてるの!?どこか痛いの!?」
泣き声は止んだまま、しかし返事も帰っては来ない。焦れた幼い姫は木を登ろうとしたが、ドレスでしかも大きな木に登れるはずはなく、
「きゃぁ!!」
すぐにずり落ちて尻餅をついてしまう。鋭い痛みに生理的な涙を瞳に滲ませながらゆるゆると顔を上げて、目を丸くした。
窓から見える小さな影。フローディアはハッとして勢いよく立ち上がった。
「ねぇ!私一人でつまらなかったの。一緒に遊びましょう!」
期待を込めて見上げた先、硬く閉ざされていた窓が静かに、そして戸惑いがちに開かれた。
視界が開かれておらず、あまり顔は見えなかったがやはり自分と同じくらいの男の子である事は分かった。
「降りてこれる?私はそっちに行けないの」
「・・・・・・無理だよ・・」
その声は風で掻き消えてしまいそうなくらい小さく弱弱しいものだったが、姫は話をしてくれた事にすっかり舞い上がっていたので全く気にならなかった。
「じゃぁ私が行くわ!そこで待っていてね!」
意気込んで再び木に手を掛けるが、何度やってもずり落ちてしまいとても上までは登れない。しかも落ちるたびに派手に転ぶので姫の体は目に見える傷が痛々しく増えていった。
それでもめげずに木を登ろうとする少女に少年はついに耐え切れずに叫んだ。
「もう止めなよ!傷だらけじゃないか!」
「だって・・・!」
「・・僕がそっちに行くから」
え、とフローディアが言葉を詰まらせた瞬間、影は窓からヒラリと木に飛び移った。驚く間もなくスルスルと木から滑る様に降りて来て少女の前に飛び降りる。
少年の行動にも驚いた姫であったが、間近で見た彼の姿に目が釘付けとなってしまった。
象牙色の肌に長さの揃っていない疎らな漆を被った様な漆黒の髪、意志の強そうな深紫の瞳は少し赤くなっていた。
少年は姫の顔が驚きに染まっている事に気付き、顔を背けるとクシャリと髪を掴んだ。
「・・ごめん・・こんな醜いもの見せて・・やっぱり気持ち悪いよね・・」
「気持ち悪いって、何が?」
姫は単純に意味が分からずに聞き返しただけであったが、少年は思いも寄らない反応に咄嗟に言葉に詰まってしまう。
「だ、だって・・この髪・・僕が穢れた蛮族だからこんな色で・・」
「そんな事ないよ!誰がそんな事言ったの!?」
「え・・・皆そう言うから・・」
今度はフローディアが言葉に詰まる番であった。よく見ると、少年の服から覗いた手足には痣や切り傷のようなものが無数にあった。
「・・それも皆にやられたの・・?」
「僕がいけないんだ。僕が穢れているから・・」
「穢れてなんかないよ!!」
少女が驚くほど細い少年の肩を掴むと、彼はビクリと震えて慌ててその手から逃れようともがく。
「僕に触れたら君まで穢れちゃうから・・!」
「あなたは穢れてなんかないよ!!」
悔しくて、悲しくて、寂しくて。触れた手から彼の痛みが伝わってくるようであった。
「その髪だってちっとも汚くないよ!むしろ綺麗だよ!?光に反射して光って・・どこが汚いの!」
「・・・・・・」
突然涙を流して叫ぶ少女を前にして、少年は完全にあっけに取られていた。彼としてはそれも仕方のない反応であった。
物心ついてから毎日のように”汚い”と言われ続けた髪をそれとは正反対にある言葉で称されるなんて。
呆然とする少年の髪をスルリと撫でながら悲しげに姫は言った。
「せっかくの髪・・・切られちゃったの・・?」
「あ・・うん・・いいんだよすぐに伸びるから・・」
明らかに故意に切られた揃わないそれを一房手に取り、苦笑する少年はやはりどこか儚げだった。
「可哀想・・・この国の人は酷い事をするのね・・」
「・・・君は違う国から来たの?」
「そうよ。ロクスバーグと言う所からお父様とお呼ばれして来たのよ」
「お呼ばれ・・・?じゃぁ君は・・」
そして少女は少しだけ胸を張って精一杯気取って言った。
「私、ロクスバーグ王国の姫でフローディアと言うのよ。あなたの名前何と言うの?」
「僕は・・・リオウ・・・」
姫と言う単語に少年は少し驚きながらも誰にも呼ばれない、王宮では禁じられた名を囁く。
この瞬間、暗く閉ざされた少年の心に一筋の光が差し込んだ。それは彼にある希望を持たせ、それを叶えるためだけに少年はこの先を生きていく事になる。
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