12






 それから数日の間、リオウは一日中ベッドの中で過ごしていた。だが彼は別段それを苦痛とは感じていなかった。
 幼い頃はそれが当たり前であったし、今のように退屈を凌ぐ為の本もなかった。

 唯一つ、不満を言うならばフローディアの顔を見ていない事だった。リオウが目を覚ました日以来、一度も会っていない。

 命令すれば今すぐにでも姫をここに連れて来る事は当然出来るのだが、どうもそういう気にはなれなかった。侍女の話によると、最近姫はぼんやりとして様子が変らしい。

 暗殺騒ぎなど一気に色々な事がありすぎてきっと疲れているのだろうと王は考えていた。今は休息が必要なのだ、自分にも姫にも。


 そう言い聞かせて必死に会いたい気持ちを我慢してきたのだが、それも長くは続かなかった。











 「姫が倒れた・・・!?」

 今朝もいつものように読書をしようと本を手に取った時、姫付きの侍女が一人慌ててリオウの寝室に駆け込んできたのだ。
 普段であれば侍女であろうとも王の寝室に近付こうとはせず、許可なく入る事も出来ないのだがこの日は違った。

 聞けば、今朝姫は着替えをしている最中に突然意識を失ったと言う事だった。今医者を呼んでいるらしいが、とにかくまず王に知らせなければと思ったらしい。


 話を聞いたリオウの行動は実に素早かった。ベッドから出て勢いよく部屋を飛び出して行く。絶対安静なはずの彼はそれに一瞬辛そうに眉を顰めたが、それを構っている余裕などありはしなかった。



 いつも歩いていたはずの廊下はなぜかとても長く感じ、思うように動かない己の体に歯がゆさを覚える。

 胸に幾重にも巻かれた包帯からは血が滲んでいたが王はそれを気にも留めない。今、頭の中の全てはフローディアの事でいっぱいだった。


 何度もよろめきながら何とか姫の部屋に着いたリオウは勢いよくドアを開ける。部屋の中にいた侍女達は一斉に王を見て青ざめたり安堵したりした。

 「姫は・・姫は大丈夫なのか・・!?」

 部屋の隅に位置された大きなベッドの上には久しぶりに見る愛しい娘がぐったりとしていた。
 姫の顔を見て、リオウは思わず息を呑んだ。

 白い顔は青白く見えるほどで、唇の艶もなく、目元には疲れが滲んでいる。

 「なぜこんな・・・」

 呆然自失と言った感じの王は崩れるように膝を着いて、そっと彼女の頬を撫でる。冷たい。

 何度も何度も撫でて、熱を少しでも与えようとするリオウに声を掛ける事も出来ずにひたすら恐縮していた侍女達の元へようやく待ちに待った医者がやって来た。


 それを見たリオウははっとして立ち上がり、医者の下へ詰め寄る。

 「早く姫を診ろ!もし姫に何かあったらお前を殺してやる!」
 「王!どうか御心をお沈め下さいませ!今はとにかく早く姫様を・・」

 止めに入ったリリィによって医者は解放されたが、彼から手を離したリオウの体がグラリと傾いた。

 驚いて見ると王の胸からは血が滴り落ちて絨毯に染みを作っていた。

 それも当然である。本当ならば動いてはいけない状態なのだ。塞がりつつある傷が開いて失血死しかねない。

 「王・・・!!」

 侍女も医者も慌てて王に駆け寄ったが、王は苦しげに怒気を声に乗せて言い放った。

 「私の事などどうでもよい!早く姫を・・姫を診ろ!」


 逆らえるはずが無かった。その言葉を受けて医者はベッドで眠る少女に駆け寄る。

 リオウと侍女達が息を詰めて見守る中、医者の放った言葉は意外なものであった。

 「・・寝不足とそれにともなう疲労、そして少しの栄養失調ですね」
 「ね、寝不足・・栄養失調・・?」
 「はい。おそらく、精神的なものからきたのでしょう」

 様子が変だとは聞いていたが。

 ここまで姫を追い詰めたのが自分ではないかと思い、リオウは益々顔を渋くさせた。

 「しばらく安静にしてしっかりと食事を取ればすぐに回復するはずです」

 ご安心下さいと言う医者の言葉がせめてもの救いだった。ようやく落ち着きを取り戻したリオウは呻きながら立ち上がり、再びフローディアの傍に行こうとした。

 「王!あなたも安静になさらなくては・・!」
 「姫・・・」

 自分の体など取るに足らないものだった。リオウにとって、フローディア以上に重要な事などありはしないのだ。

 傍にいる人などもう彼の視界には入ってはいない。ただひたすらに姫だけを見詰めるリオウを止める事の出来る者など少なくともこの場にはいるはずがなかった。


 医者が簡単な処置をした後、侍女達は仕方なく椅子と飲み物だけを用意して部屋から出た。もちろん呼ばれればすぐに行けるように傍で控えてはいたが。



 静寂の中、サラサラとリオウがフローディアの髪を撫でる音だけが響く。

 たった数日顔を見ていないだけであるのに、こんなにも姫に会いたかった自分に気付く。

 「10年も待ったのだ・・・」

 あの日から約10年間、ただひたすらに姫だけを思っていた日々に比べればたった数日の事のはずなのに。

 自嘲気味に笑い、撫でていた手を外すとフローディアの眉が少し動いた。

 「姫・・?」
 「う・・・あ・・」

 だが、フローディアは目を覚ます事は無く、ひどく苦しげに魘され始めた。悪夢でも見ているのか、額には汗が滲み始めている。

 「姫?しっかりしろ・・姫・・?」
 「・・・めて・・・リィ・・」


 姫の口から出たそれにリオウは心臓を鷲掴みされたような錯覚を覚えた。


 ”リィ”


 もう一度彼女の口から聞く事の出来る日が来るとは思ってはいなかった。それはフローディアにだけ許された神聖な名前。甘い響き。


 「止めて・・・リィ・・逃げて・・・」
 「・・姫・・まさか・・・」
 「誰か・・・リィ・・助、けて・・・・」


 諦めていた。彼女は覚えていなくて当然だった。彼女にとっては忘れてしまっていた方が幸せであっただろう。

 けれども自分にとってはあの日が全ての始まりの日だった事は確かだ。

 全てを諦めていた己に希望の光を与えてくれた小さな小さな少女。

 サラリと肩から滑り落ちる漆黒の髪は誓いの証。









 ”私、フローディアと言うの。あなたの名前は?”




 ”僕は・・・リオウ・・・”  











BACK  NOVELS TOP   NEXT