I LOVE YOU 前編






 私、石崎美耶子は文学少女だ。・・・もう20歳も過ぎたから少女と言うのは間違っているかもしれないけれど。

 暇があれば本を読み、趣味が読書と言うよりも、日課が読書になっている。
 私が読む本は最近はやっているらしい、ライトノベルなどではなく、明治時代以降のいわゆる近現代と言われる文学作品だ。

 誰もが知っている有名な人物のものからマイナー作品まで幅広く読んでいる。そんな中で私が大好きでよく読んでいるものは夏目漱石の作品だ。

 そんな私の理想の男性像は、平成のチャラチャラした優男ではなく、明治や大正の、言葉少なだけど逞しい、立派な日本男児。

 いつかそんな男性が見つかる、そう信じていた・・・・信じていたのに。




 「ミヤコさん、オハヨゴザイマス」

 背後から片言の日本語で声を掛けられる。振り向かなくても誰かはそのイントネーションと声の大きさで分かる。
 私はこっそりと溜息を吐きながら振り返り、日本人特有の曖昧な笑みを浮かべた。

 「おはようございます、アンドリューさん」

 私の表面上の笑顔に嬉しそうに青い目を輝かせる男性は、最近会社に入って来たアメリカ人のアンドリュー・テイラーさん。眩しい金髪と大きな青い目でなかなかのハンサムだと会社の女子社員が騒いでいた。

 彼は、小走りで私の横に並ぶとお決まりの台詞を言う。

 「アンディ、呼んでクダサイ」

 本当はテイラーさん、と苗字で呼びたいのにあまりにしつこいから名前で呼ぶ事になった。でも、そうすると次は愛称で呼べと言う。
 ただでさえ他の女子社員の視線が痛いのに、そんな事をしたらどうなるか。だいたいどうして彼は私みたいな女にちょっかいかけるんだろう。彼くらいハンサムならより取り見取りだろうに。

 彼に比べて私は皆からダサいと言われる眼鏡をかけて、重苦しい黒髪を後ろに無造作に束ねている。お世辞にも綺麗とは言えないだろう。

 だけど、アンドリューさんは今日も笑顔で食事に誘って来る。

 「ミヤコさん、今日、会社後、ディナーしまショウ」
 「・・・今日は用事があるんです。私ではなく他の人を誘って下さい」
 「ノー。ボク、ミヤコさんがよいのデス」

 冷たくあしらう私にいつも彼はめげない。本当にどうして私なんだろう。ここまで誘われたら、そりゃぁ悪い気はしない。彼はハンサムだしスタイルだっていい。
 だけど、昔ながらの日本男児が好きな私にとって、彼は完璧に恋愛対象外なのだ。

 「どうして私なの?他にも可愛い子ならいっぱいいるじゃない」
 「ボク、ミヤコさんスキ。アイシテマス」

 聞くと、屈託のない笑顔で愛の言葉を吐く彼にうんざりする。こんな言葉を望んでいるわけじゃない。簡単に愛の言葉を吐くのも信用出来ない。

 どうせ誰にでも言っているんでしょう?ただの遊びに過ぎないのでしょう?

 どうしても疑惑は拭い去れない。私が彼に好かれる理由も分からないし、西洋の男性が日本人の女の子を引っ掛けやすいからよく遊び相手にする、と言う話を聞いた事があるから余計に信用なんて出来なかった。

 「・・・会社、遅刻しますよ」

 だから私は逃げるのだ。アンドリューさんが後ろで何か英語で言ったのが分かったが、私はあえて聞こえないふりをした。


 ここまで拒否したのだから、今日はもう話しかけてこないと思っていた。だけど、アンドリューさんはくじけていなかった。

 昼休み、早めに昼食を済ませて読書をしていた私のデスクに彼はやって来た。

 「ミヤコさん、何読んでマスカ?」

 貴重な読書時間を邪魔されて、私は少し苛立ちながらもぶっきら棒に言った。

 「夏目漱石のこころです」
 「ナチュ・・メ・・・?」

 案の定、来日したばかりの彼は夏目漱石を知らなかった。当然の事だけれど、私の大好きな作家だったから失望もした。そして、私とこの人は絶対に合わないと確信もする。

 「楽しい、デスカ?」
 「はい。私、夏目漱石のファンですから。毎日少しずつお昼休みに読んでいるんです」

 だから小説を堪能したいの。早くどこかへ行って下さい。

 言外にそう言っているのに、彼は分かってくれない。比較的はっきりと物を言うアメリカの人達には日本人の遠まわしな言い方は通じないのかな。日本人が相手ならこんなにも疲れないのに。

 そっと本に溜息を零した時、彼が身を乗り出してきた。

 「おススメ、何、デス?」
 「え?」

 本から目を離してアンドリューさんを見ると、彼は柔らかく笑んだ。そうすると出来るえくぼが愛らしくて思わず見惚れてしまう。

 「ボクも、ミヤコさんの好き、知りたいデス。おススメ、何デスカ?」

 まさかこう来るとは思っていなかった。興味を無くしてどこかに行くとばかり思っていたのに。

 「私はやっぱり、今読んでいるこころが一番好きだけど・・・」

 咄嗟に言って本を掲げると、彼は納得したように頷いてどこかへ行ってしまった。

 「何だったの?」

 不審に思いながらも読書を再開させた私が、彼の行動の意味を知るのは次の日の昼休みの事だった。


 彼が昼休み中、昼食も食べずに辞書を片手に「こころ」を読んでいたのだ。
 それを見た瞬間、私の中で何かが弾けた気がした。

 「何してるの!?まだ漢字だってろくに読めないんでしょう!?」

 彼は、会話はある程度出来てもまだ読み書きがほとんど出来ないのだ。それに「こころ」は大正時代に書かれた作品で、現代語とはまた少し異なる部分もあるのに。

 だけど、彼は私に失礼な事を言われてもニコリと微笑んだだけだった。

 「難しいデス。でも、ボク、ミヤコさんの好き、知りたいカラ」
 「・・・・っ」

 無垢な笑顔を見ていられなくて、自分のデスクに戻る。彼は本当に私の事が好きなのかもしれない、と思う。だけど、それ以上に信じられない気持ちの方が勝っていた。
 今まで誰とも恋愛してこなかったのに、突然アメリカ人なんて、どうすればいいのか分からない。誰かと比べようにも比べる相手は小説の人物しかいない。

 「私の理想は古き良き日本男児なのよ・・・」

 暗示をかけるように呟いて、あんな軽そうな人にひっかかってたまるものか、と思いつつも、心のどこかで彼と本当の恋愛をしてみたい、とも思っていて、私をさらに混乱させた。











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