「な・・・っ」

 突然の事に驚いた上に見慣れぬ男性の上半身にカッとなり、思わず叫びだしそうになった紫織だったが、

 「静かに!」

 間一髪、朱里が彼女の口を手で覆った。

 しかし、これによって二人の距離は一気に縮まり、朱里の艶やかな黒髪から零れる雫が紫織の顔に一粒落ちる。
 紫織の視界いっぱいに広がる彼女、いや彼の上半身にはやはり胸の膨らみは一切無かった。

 「・・・手を放す。騒ぐなよ」

 口調まで変わっている朱里に恐怖を感じながらも頷く事しか出来なかった。

 そのうちに手が外されて再び距離が取られる。そうすることで朱里の全身がよく見えるようになった。
 風呂上りなのか裸の上半身はしっとりと熱を帯び、水滴がいくつかついている。視線を落とすと、ほっそりと引き締まった腰から下はスウェットを穿いていた。

 その姿はどこにでもいる普通の男子高校生だったが、長い黒髪と中世的な美貌が不思議な色気を醸し出していた。

 何と言っていいか分からず宙に視線を泳がす紫織に、朱里が首からかけていたタオルで髪を拭きながら口を開いた。

 「勝手に人の部屋に入るなと教わらなかったか」
 「す、すみません。あの、朱里さんは、えっと・・・」
 「見れば分かるだろう。男だ」

 あっさりと認め、話は終わったとばかりにベッドの上に置いてあったシャツに腕を通す彼に、紫織は湧き上がる疑問を抑えられなかった。

 「あの、なぜ女装を・・・?」

 言ってから紫織はすぐに後悔した。朱里にも複雑な事情があるだろうに、無神経過ぎたと思ったからだ。
 慌てて質問を撤回しようとしたが、目の前の少女改め少年は事も無げに答えた。

 「勘違いするなよ。別に女装が趣味ってわけじゃないし、心はれっきとした男だ」

 そしてベッドに腰掛けると、彼はポツリポツリと自身の事を話し始めた。

 「きっかけは橙夜様の言葉だった。今考えると冗談だったんだろう」

 物心ついた頃より片瀬家を継ぐ者として、鞍馬家に忠誠を尽くすよう言われて育てられた。成長した朱里は当然のように鞍馬家に心酔し、橙夜を慕うようになった。

 初めはただ彼に尽くすだけで満足だったが、徐々に橙夜に自分を見て欲しい、認めてもらいたいと言う思いが強くなっていった。

 「だが、橙夜様は俺をただのお付としか見てくれなかった」

 焦った朱里はある日橙夜にどうすれば自分を認めてくれるのかと迫った。
 すると橙夜は笑って言った――お前が女だったら、と。

 「女だったら・・・?」
 「当時橙夜様は女性関係が華やかになっていた時だった。以前から俺の顔を女のようだと笑っていたから冗談で仰ったのだろう」

 だが、盲目的に橙夜に心酔していた朱里はその言葉を受けて本当に女になろうとした。さすがに手術などはしなかったが、その日から女物の洋服を集め、言葉遣いも変えた。化粧を覚え髪を伸ばした。

 「だが、橙夜様は面白がるばかりで一向に認めてはくれなかった。俺はまだ女になりきれてないせいだと考えた」

 徐々に朱里の行動はエスカレートしていき、制服も女物を着て、周りからは完全に女だと思われていた。

 「俺が男だと知っているのは鞍馬家と御三家の一部の者だけだ。別に隠す必要もないのに大人たちは女装する御三家嫡男など恥だと考えたらしい」

 言いながら自嘲気味に笑う朱里に紫織は何と言っていいか分からず黙っているほかなかった。
 ぶっきら棒な言いようとは裏腹に彼の瞳は憂いを帯びており、悲しみが見え隠れする。

 「本当は分かっていたんだ。こんな事をしても意味が無い事くらい。女になろうとしても意味が無い。それは俺が男であるからじゃない・・・橙夜様は女も見ていないから」
 「え?」

 どう言う意味だろう、と紫織は反射的に朱里を仰いだが、彼はそれに答えることなく、

 「・・・どうせ高校を卒業したら男に戻るつもりだった。今更お前に男だと知られても問題ない」

 投げやりに言い放ち、シーツが濡れるのも気にせず荒々しくベッドに横たわった。

 しかし、実際朱里の胸中は穏やかではなく、問題がないとはとても言えるものではなかった。
 なぜ敵である紫織に双子の弟にもなかなか言えない様な事を話しているのか分からなかったからだ。

 しかも嫌悪感はなく、心中を吐露したせいか妙にすっきりとした気分になっている。

 敵にもならない、頼りない一般人のような小娘に過ぎないからだろうか、と考えながら目の前の小柄な少女を不思議な気分で眺める。

 「九条紫織・・・?」

 そうして思い出したように彼女の名前を呼んだが、それに答えたのは紫織ではなく、空腹を訴える彼女のお腹だった。  











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