25
今まで考えなかったわけじゃない。だけどそれはあまりに突然で・・・。
――もう満月は傾いているわ。夜明けまで後3時間くらいね。
「たった3時間・・・?」
――その間に決める事ね・・・残るか、残らないかを。
言うなり、光が揺らぎ、ぼんやりと灯りが拡散していく。
――私ももう時間だわ。でも、いつも見守ってるわ、空からね。
そして、光は闇へと溶けていった。言いたい事を全て伝えたのか、神はどこかへ消えてしまったらしい。
しかし神が消えた後も、聖はその言葉を反芻していた。
残るか、残らないか。ヴェルの傍にいる事を選ぶか、選ばないか。
今後の人生を大きく左右する決断を唐突に迫られる。しかも制限時間付きである。
ヴェルの傍にいたいと言うのが聖の本心である。ようやく気持ちが通じ合い、想いを確かめ合えたのに別れなければいけないなんて考えられない。
だが、簡単に残るとは言えない。この世界は彼女に優しくない。彼への気持ちだけで残れるほど容易いものではない事は今夜嫌と言うほど思い知らされた。
それに、あちらの世界も捨てられない。決して素晴らしいとは言えないが、かけがえの無い両親がおり、つまらない学校生活でも友人はいた。
決められない。どちらを選んでも絶対に後悔する事は分かっているからだ。
「聖」
戸惑う少女の鼓膜を青年の優しい声が打つ。その場に似合わない穏やかなそれに彼の顔を振り仰ぐ。
「ヴェル?」
「何を考え込んでおる。さぁ行くぞ」
「行くって・・・どこに?」
「決まっておろう?あの部屋じゃ」
「・・・え・・・?」
「安心するが良い。今の余ならば城の最上階へもひとっ飛びじゃ。あの部屋にも3分で行けるぞ」
「何言ってるの!?」
そんな事を言っているのでは無いと言う事はヴェルも分かっているはずなのに、はぐらかす彼が信じられなかった。笑顔を浮かべる事も、聖が帰ると断定している事も、全てが少女の心を傷つけた。
もしかしたらヴェルは呪いが解けた今、私なんて必要ないのかもしれないと聖の中に疑心の心が芽生え始める。
呪いが解けるまでは確かに心は結び合っていたが、呪いが解けた事で恋心も解けてしまったのではないだろうか。彼はむしろ帰って欲しいのかもしれない。だって自分はもう必要ないのだから。
考えれば考えるほど、それが現実味を帯びてきて自然、顔が俯いて行く。不思議そうに、だが少しでけ心配そうに名前を呼ぶヴェルに少女は胸中で毒づく。
少しでも私を想ってくれたなら、優しくしないで。別れが辛くなるから。
だが、必死に涙と気持ちを押し込めながら、顔を上げた彼女は、
「何でもない。部屋に連れて行って」
精一杯の笑顔でこう言った。
そして滲む涙を見られないようにと彼に背を向けて城に向かって歩き出す。それゆえ、彼女は気付かなかった。背後の青年の美貌が僅かに歪んだ事を。
ノーブルの力が戻ったヴェルは、聖とクラウンは抱えて、文字通り、飛んだ。数歩城の壁を踏み台にしながら器用に登る姿を見るのは二度目とは言えやはり驚く。
そしてあの部屋のある階にたどり着くと、壊れた窓から入り、まず傍にあったベッドに再び意識を失ったクラウンを寝かせる。
「よし、それでは行くか」
「うん・・・」
今だ体に感じる浮遊感と、喪失感が綯い交ぜになりながら頷いて歩き出そうとすると、小さくヴェルが声を上げた。
「部屋につくまでそなた、目を瞑っておれ。余が連れて行くゆえ」
「・・・どうして?」
「そなたには見せたくないものが・・・余の罪の証だが・・」
曇ったヴェルの美貌を眺めながら、脳裏に血にまみれた数多の死体がよぎる。確かにもう見たくなかった。無我夢中であの中を駆け抜けた自分が今でも信じられないくらいなのだ。
小さく頷くと、すぐに横抱きに抱き上げられる。耳元で目を閉じておれ、と囁かれて鼓動が高まるのを抑えられなかった。
――駄目なのに。
温もりを近くで感じて、涙が零れた。最後なら、突き放すなら、こんな温かさはいらない。知らなくて良かったのに。
「・・・止めて」
耐えられなくなり、長い廊下を半分ほど歩いた所で声を上げていた。勿論死体など見たくなかったが、それよりもヴェルといる事が辛かった。
腕の中でもがく少女を困惑しながらも床に下ろすヴェルに顔を背けながら平静を装って口を開いた。
「もう一人で大丈夫だから。一人で帰れるから。ヴェルはクラウンさんの所に戻って」
「何を言っておる?まだ部屋に着いていないではないか」
「いいの!一人で帰りたいから・・・」
「しかし――」
どうして放っておいてくれないの。どうして惑わせるの。どうして。どうして。
「どうして何も言ってくれないの!?私が帰っても何とも思わないんでしょ!?なら放っておいてよ!これ以上苦しめないで・・・お願い・・・」
最後は両手で顔を覆ったため、消え入るようにくぐもっていたが、ヴェルの耳にはきちんと届いていた。
「聖、余は・・・」
「もういい」
突き放すように短く言うと、顔を伏せながら一人、部屋へ向かおうとする。
その、少女の震える、細い背中に青年は本能的に手を伸ばしていた。
「っ!?」
もうヴェルはクラウンの元へ向かったとばかり思っていた聖は、背中を覆う温もりと回される勇ましい腕の感触に言葉を失くす。
「・・・何とも思わないわけがなかろう」
秘密を打ち明けるように、耳元で囁かれる声は震えて、回された腕に力がこもる。
「だが、ここに残れなどと、無責任な事は言えぬ。そなたが残るにはこの国は危険すぎるのじゃ」
ノーブルしかいない。フィードは滅んだと言われる国で聖の居場所はない。それを作るには、ヴェルがいかに努力したとしても途方も無く長い年月がかかるだろう。
「それに・・・余とそなたでは生きる時間があまりにも違う」
ヴェルは腕の中の聖を正面に向かせ、細やかな指で彼女の涙を拭う。そして愛しげに何度も何度も頬を撫でながら苦しげに目を細めた。
「そなたが死んでからも余は何百年も一人で生き続けなければならぬ。そのような事、耐えられるわけがない。苦しくて苦しくて、そなたの後を追ってしまうだろう」
しかし、そうすれば神と約束した、ノーブルと人間が手を取り合う世界は作れない。ヴェルの罪は一生償われないのだ。
「そなたを愛しているからこそ残れなどとは言えなかった。そなたを愛してるからこそ帰すのじゃ。だが、口を開けばそなたを引き止めてしまいそうで・・・」
突然の告白に呆然としながらも、聖もゆっくりと彼の、涙に濡れる頬を撫でた。
「だから・・・約束して欲しい。必ず幸せになると。笑って生きると。そうでなければそなたを放す意味がないではないか」
「・・・じゃぁ、ヴェルも約束、して?きっと、人間とノーブルが仲良く暮らせる世界を作るって。そしてヴェルも幸せに笑って暮らす事を」
約束だね。約束だよ。
そして最後に合わせた唇は涙の味がした。幸せからか、寂しさからか、零れる涙は止められないけれど、だけど。ね。
最後は笑っていよう。遠く離れても、もう二度と会えなくても思い出せるように。笑顔で、さよならを。
「聖!早くー!授業始まるよ!」
遠くから聞こえる友の声に聖は笑顔で答えて駆け出した。
・・・ヴェル、元気ですか?あれから1年経ったね。私は学校を転校して、今は近くの県立の普通科に自宅から通っています。自分らしく生きようと、両親と話し合って何とか転校を許可してもらったの。だって、カトリックの学校なんてもう通えない。私は魔王様に恋したんだから。
今は平凡だけど楽しい毎日を過ごしているよ。そうそう、最近勉強が忙しいんだ。私、将来看護師になるって決めたから、その勉強。
人の命を救える人になりたいんだ。私はこっちで、ヴェルは向こうで、形は違うけど人が安心して暮らせる世の中になるよう頑張ってるんだよね。
だけど、勉強の間とか、月を見ていると、凄くあなたに会いたくなるんだ。でもね、うん。大丈夫だよ。目を閉じればいつでも会えるもんね。いつでもそこに笑顔のあなたがいるから。
だからね、ヴェル。今なら自信を持って言えるよ。笑顔で、笑って。
「私、幸せだよ」
終わり
あとがき
これまで「皇帝陛下に聖杯を」を読んで下さった皆様、今までありがとございました!
「花冠の姫君」以上に長くなってしまい、正直焦っていましたが、無事に完結出来てホッとしております。
異世界召還物で必ずと言って良いほど問題になるのが、主人公がその世界に残るか残らないか、なんですが、この話では最初から残らない方向で進めていました。
だけど、そうすると悲しげと言うか悲恋っぽくなってしまうので、出来るだけハッピーエンドっぽく、別れる事も幸せに繋がるという事を書きたかったんですが、どうでしょう。書けてるんでしょうか。
好きだから残るとか、そんな単純な事じゃないと思うんですよね実際は。しかも聖の行った世界では困難でしょう。
最後の方は意図的に聖目線で書きました。ヴェルの気持ちを入れても良かったんですけど、主人公の葛藤を表したくて。ヴェル目線も少し興味があるので、書けたら番外編で書くかもしれません。
ですが、これで一区切り、終了です。完結も3作品目となると少し違うかな、と思いましたが何作品になっても感慨深いのは同じですね。
今後も色々な結末、作品を書いていきたいと思っておりますので、これからもよろしくお願い致します。
(2008.9.28)
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