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アリアが目を開けると、まだ夜が明けておらず、室内は薄暗いままであった。
起き上がる彼女の横には天使のような顔をした夫が気持ち良さそうに寝息をたてている。
彼を起こさないようにベッドから抜け出すと、セクシーな寝着が目に入り慌てて羽織れるものを探す。
王子の自室だけあってクローゼットには煌びやかな服が数え切れないほど収められていた。頭を抱えつつ何とかマシなものを取り出すと袖を通した。そしてそのまま静かに扉へと近付きのぶに手をかける。
昨夜は鍵を外側からかけられていたが、今はもうかけられていないようだ。音をたてないように扉を開けると最後にもう一度ベッドの中の夫に目を向ける。
アリアがベッドから出た事に気付く様子も無く眠り続ける無垢な背中からは何も窺い知る事は出来ない。それが昨夜と同じく拒絶の様に思われて、アリアは力無く部屋を後にした。
蝋燭の仄かな灯りだけをたよりに自室へと足を進める姫だったが、
「お妃様?」
後ろから呼ばれ、その足を止めた。
まだ妃と呼ばれる事に慣れておらず、一瞬誰の事かと戸惑ったが反射的に振り返ると、見覚えのある顔があった。
「あなたは・・・大臣の・・・」
「ジョゼフと申します。このような早朝にどうされたのですか?」
「あ・・・」
昨夜アリアを王子の部屋へ閉じ込めた大臣だと知ると、姫は少し顔を強張らせた。
それを目に留めて、ジョゼフは全てを察した様子で柔らかく笑んだ。
「そのようなお姿では早朝の城はお寒うございましょう。温かいものでも飲みながらよろしければ少しお話をしませんか」
戸惑っていたアリアだったが、皺の刻み込まれた目尻が優しく下げられるのを見て、頷いた。話と言うのが何なのか不安はあったが、姫にはどうしても聞きたい事があった。
近くの客間に通され、ソファに座るとようやくホッと肩の力を抜く事が出来た。
どこから呼んだのか、侍女がすまし顔で紅茶と小菓子をテーブルに並べて素早く出て行く姿をぼんやりと眺めていると、
「・・・王子はまだお休みですか」
そっと問いかけられ、アリアは視線を大臣へと移した。彼の目は全てを分かっているかのように深く、澄み切っている。
その瞳を見た瞬間、言い訳は無駄だと悟った。どちらにしろすぐに分かってしまうのだからここで全て話してしまおう。
「はい・・・それはもうぐっすりとお休みですわ。おかしいですわよね・・・疲れる事など何もしていませんのに」
「・・・そうですか」
言外に何も無かった事を告げると、意外にも大臣は落胆する事も無く、神妙に頷いた。まるで初めから分かっていたと言うような態度にアリアは唇を噛み締める。
「跡継ぎなど必要ないと仰る方に私など最初から必要なかったのですわ」
悔しくて悲しくて、思わず口に出してしまった言葉に、大臣は驚くほど反応を見せた。
手にしていたティーカップを眉を潜めるほど音を立ててソーサーに置くと呆然と口を開く。
「跡継ぎがいらないと、王子がそう仰ったのですか?」
「ええ・・・」
おそらく大臣は王子が跡継ぎを必要としていない事を知らなかったのだろう。大臣は自身を落ち着けるために再びティーカップを手にしながら姫を見た。
「他に王子は何か仰っておられましたか?」
「・・・美貌こそがご自分の価値だと。子供が万が一にでも自分よりも美しかったなら価値が無くなってしまうと、そう仰られましたわ」
「そう、ですか」
言うなり考え込むようにティーカップを持ったまま固まってしまった大臣に、姫はどうしても気にかかった事を思い切って聞いてみる事にした。
「あの、なぜ王子はそこまで美に拘るのですか?ただ単に自己愛で片付けられるものではないと思うのです」
これまでは度を越えたナルシストだと考えていたが、昨夜の一件でそれだけではないのではないかと思うようになった。何よりも王子が自身を卑下しているのが気にかかる。
大臣はしばらく難しい顔をしていたが、一口紅茶を飲むと意を決したように息を吐き出した。
「お妃様には知って頂くべきでしょう。実は王子には弟君がいらっしゃいます」
「・・・王子はお一人だと伺っておりますわ。弟君がいらっしゃるとは失礼ですが聞いた事が・・・」
「弟のエドワード様は幼い頃病でお亡くなりになりましたゆえ、あまり他国には知られていないのです」
「まぁ・・・」
姫にとっては寝耳に水であった。だが、弟君の死と王子のナルシストはどう関係があるのだろうか。
素直に疑問を口にすると、大臣は懐かしむように目を細めた。
「エドワード様は幼い頃より神童と呼ばれておりました。聡明で剣術の腕も大人が舌を巻くほどで。我が国では第一王子が王位を継承するのが慣わしなのですが、エドワード様を王にすべきだとする者も多くおりました」
エトワール王子も決して落ちこぼれではなかったが、比較する相手が悪かった。エトワール王子は何をやっても完璧にこなす弟の足元にも及ばなかった――その美貌以外は。
「生まれた頃からエトワール様はそのお美しさから天使と称されるほどで。オッドアイと言う神秘性も加わって周りから騒がれておりました」
だが、エトワール王子はあくまでも愛玩の存在だった。王も王妃もエドワード王子を可愛がり、何をおいても彼を優先していた。
「エトワール様もご両親から目をかけて頂こうと勉学も剣術も人一倍努力していらっしゃいましたが、何をしてもその美しい外見しか評価されませんでした」
その内にエドワード王子が流行り病で亡くなってしまった。彼に期待をかけていた王と王妃の失意は深く、それ以来表舞台にはあまり登場せず城に引きこもってしまっている。
両親の悲しみを癒そうとエトワール王子は今まで以上に努力を重ねたが、全て無駄であった。エドワード王子は幼くして亡くなった事により神格化し、永遠の存在になってしまったのだ。
「あの頃、エトワール様の剣の腕前はエドワード様を超えていたはずなのですが、誰もそれを認めませんでした」
そればかりか、王妃は弟王子のようになろうとするエトワール王子を小賢しく感じ、接触を絶ってしまった。王も王妃を諌めようとはせず、同様にエトワール王子を軽んじた。
「・・・エトワール様はそれ以来今まで行ってきた勉学を全て止めてしまいました。代わりに美を追求し始めたのです。無理も無い事でございます・・・皮肉にも王子が美しくなればなるほど周りは王子に目を向けるようになりました」
弟王子と正反対になれば、自分が美しくなれば周りは認めてくれる――王子はそう考えたのだ。
「本来の王子は努力家で真面目な心優しい方なのです。それを変えてしまったのは我々なのです・・・。もしかしたら、これは王子なりの我々に対する復讐なのかもしれません」
悔いるように吐き出された大臣の言葉はしかし姫には届いていなかった。彼女は昨夜見た王子の辛そうな顔、そして全てを拒絶するような背中を思い起こし、無性に王子に会いたい衝動に駆られていた。
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