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アリアの声に鏡を見つめていた王子は変わらず視線を己から逸らさずに口を開いた。
「何を始めると言うんだい?僕はそろそろ眠りたいんだ。寝不足は美容の大敵だからね」
「いいえ、今夜は起きていて頂きますわ」
「え?」
彼女の固い声に、漸く王子は鏡から姫へと視線を動かした。
「どう言う事だい?」
「私の口からはとても言えないような事ですわ。普通は男性がリードしてくれるものなのですから」
「僕がリードするのかい?美についてなら出来ると思うけど、僕くらい美しくなる事は不可能だよ」
言いながら疲れたとばかりにベッドに腰掛ける王子に姫はゆっくりと近付いて隣に座った。
「あの・・・王子は当然ご経験はおありなんですよね?」
「何のだい?」
「え・・・ですから、あの、その・・・何と言いますか・・・」
頬を染めて言い難そうに目を左右に動かしたり、シーツを引っかいたりするアリアに痺れを切らしたのか、王子は小さく欠伸をするとベッドに寝転んだ。
「その話は長そうだから明日聞く事にするよ。眠りの妖精が僕を誘っているから今日はここまでにしよう」
「明日では駄目なのです!初夜は今夜しかないのですから!」
「さっきから初夜初夜と・・・一体何なんだい?僕の眠りを妨げるほど重要なものなど無いと思うんだけど」
興味無さそうに目を閉じる王子に、姫は今度こそ堪忍袋の緒が切れてしまった。
「あなたの睡眠なんかよりよっぽど重要な国の大事ですわ!お世継ぎの事なのですから!」
気が付いたらまたもや姫は王子を怒鳴りつけてしまっていた。ハッと気付いた時には姫は羞恥で顔を覆い、王子は驚きで目を見開いていた。
「・・・お世継ぎ?」
起き上がりながら、オッドアイの瞳が鋭く光る。先程までの雰囲気は一変して肌を刺すような緊張感がアリアに襲い掛かった。
「あ、あなたは国でただ一人の王子なのでしょう?でしたらお世継ぎを残すのは当然だと思いますわ」
ただならない様子の王子に戸惑いながらも毅然と答える姫に、彼は呆れるほど美しく微笑んで見せた。
「世継ぎなんて、僕は残さないよ」
「・・・え?」
あまりにもあっさりと言い放った王子に、アリアはすぐに意味が分からずにワンテンポ遅れてしまった。だって、ありえない事なのだ。王族の、しかも国の第一王子の言葉とはとても思えない。
王族の使命の一つに世継ぎ問題がある。これは政務と同じように重要な王族の勤めなのだ。
なのに王子は繰り返し、世継ぎはいらないと言う。まるで何かにとりつかれたように繰り返し。
「なぜですの?世継ぎがいなければ国が・・・」
「国なんて僕にはどうでもいいんだよ。とにかく世継ぎなんていらない。だって、僕の子供なんだから、美しいに決まっているじゃないか?」
「はい?」
「僕の完璧な遺伝子が半分も受け継がれるのだから、子供は絶対に美しくなるはずさ。しかも子供は年を追うごとに美しく成長するのに、僕は老いていくなんて考えられないね」
あまりに王子が真剣だったので何かとてつもなく深い理由があるのかと考えた姫は、開いた口がふさがらなかった。
馬鹿だアホだと思っていたが、ここまでとは考えていなかった。実は秘めた才能を隠し持っていると考えていたのに、本当にこの王子はただのナルシストな駄目男らしい。
「・・・ずっとお聞きしたいと思っていたのですが、王子はどうしてそんなにナル・・・いや、ご自分を愛されているのですか?」
心なしか痛みを感じる頭を抑えつつ問うと、
「だって、僕はこんなにも美しいんだよ?それを磨く事は当然じゃないかい?」
さも当然だと言わんばかりに王子は胸を張った。姫の頭痛がさらに増したのは気のせいではないだろう。
「そうかもしれませんが、ただ一人の王子なのですから他にもすべき事がおありでは?」
「ないね。政務は大臣達がするし、王もいるから僕の仕事は美を極める事だけなのさ」
「ですが、もっと国民達の声に耳を傾け、彼らが何を望んでいるのか知る事など、探せば仕事はいくらでも・・・」
「彼らが望んでいる事なんて一つさ、僕が美しくいる事だよ。今日見て分かっただろう?彼らは僕が美しくいる事を誇りに思っているのさ」
結婚式後の国民へのお披露目では多くの国民が花嫁である姫よりも隣の王子に熱狂をした。老若男女問わず、美貌の王子に羨望と誇りを感じている事が伺われた。
それは国一番の美姫と謳われているアリアにも覚えがある事だった。自分達のトップに立ち国を象徴する王族は美しいに越した事はない。他国の人間から自国の王族の美を称えられれば誰でも誇らしく思うものだ。
王族は美しく飾り立てられる事だけが仕事ではないはずだ。アリアの兄の王子達は王を支え、軍部を統括したり領土を治めたりしている。女であるアリアも国益のためにここへ嫁いで来た。
王子にだって何か彼にしか出来ない事があるはずだ。それはきっと美を極める事よりも重要なはずなのに。
しかし、姫が何を言おうとも、王子は頑なだった。
「僕には王子と言う肩書き以外にはこの美しい顔しかないんだよ。美しさを失ったら僕は何の意味も無い存在になってしまう」
その時の王子の顔があまりに寂しそうで絶望していて、アリアは何と言えばいいのか分からなくなってしまった。
「そんな事はありませんわ。美しさだけなんて、そんな・・・」
落ち込んでいるだろう夫を慰めようと思っても言葉が出てこない。アリアは未だ王子の事を何も分かっていなかったのだ。
口ごもるアリアに失望する事も無く、王子は再び体を横たえ、自分自身を戒めるかのように繰り返した。
「だから、子供なんていらないんだよ。僕の子供が万が一にでも僕よりも美しかったら僕の存在価値は無くなってしまうからね」
「・・・・・・」
「さぁ、君も変な考えは捨ててもう眠ろうじゃないか」
言うなり、シーツの海の中に身を丸めた王子にかける言葉はもはや何も無かった。彼は姫を抱く事はおろか触れようともしない。無言の背中が明らかに拒絶を示していた。
「・・・はい」
なす術も無く彼と同じベッドへ入ろうとするアリアの頬を一筋の涙が伝った。予期せぬ涙にアリア自身ぎょっとして慌てて拭ったが、幸い王子には気付かれなかったようだ。それが彼女をますます惨めにさせた。
この時、彼女はまだ何も分かっていなかった。この涙が使命を果たせ無い事への悲しみなのか、王子に拒否された事への絶望なのか――彼女にはまだ何も。
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