10
”いつ見てもお美しい。まるで地上に舞い降りた天使のようですな”
”女の私よりも美しいなんて、嫉妬してしまいますわ”
言われ慣れた陳腐な言葉の数々と醜い人の笑顔。それを取って置きの微笑で応対するのが唯一の仕事と言っても過言ではない。
美しい、なんてそんな事は当然だ。改めて指摘されるまでも無い。
だけど、そう言われるたびにどこかホッとしている自分もいた。まだ価値があると、そこにいて良いのだと認められているように感じるから。
でもやっぱり心は空虚だった。誰も表面しか見てくれない。そう仕向けているくせに、誰かが本当の自分を認めてくれるんじゃないかと期待してしまう。
美しいと絶賛されるたびに僅かに傷付く己。我ながら諦めが悪いと自嘲する日々はきっとこれから先も変わらなく続いて行くんだろう。
ふと気付くと、純白のシーツの海が目に入り、夢を見ていたのだと王子は知った。もう何年も見続けている、苦しくて歯がゆい夢は、意識が戻っても色あせる事はない。
うんざりと溜息を吐いて起き上がると、随分とベッドの端に寝ている事に気付いた。常には大きなベッドの真ん中でゆったりと横になるはずであるのに。
「・・・まぁいいか」
何か横にあったような気がするが、今は無いのだから別段気にする事はないと気を取り直した王子は、ベッドサイドにある呼び鈴に手を伸ばす。
チリン、と一振りするとすぐに侍女達がぞろぞろと入って来て、朝食の準備を始める。
「お妃様はどうなさったのですか?」
一人の侍女がベッドに王子しかいない事に首を傾げると、手鏡を覗き込んでいた王子は漸くベッドの隣にいた人物を思い出した。
「さぁ・・・起きたらいなかったから僕は知らないな」
ベッドは既に冷たくなっているので、姫がベッドを抜け出して随分と経っているようだった。
慌てた侍女達が探しに行こうとした刹那、扉がけたたましく開かれた。
「お、おはようございます」
ぜぇぜぇと肩で息をするアリアがそこにはいた。髪は乱れ、サイズの合っていない上着から大胆な寝着が見え隠れしている。
「お妃様!?どうなさったのですか、その格好は・・・」
侍女達が何事かと慌て騒ぐのを何とか収めて外へと追い出したアリアはホッと息を吐き、ベッドの上にいる夫を見た。
相変わらずの美貌に寝起きの気だるげな雰囲気が加わり、咽返る様な色気をかもし出している。
思わずクラリとしたものの、何とか気を取り直してベッドに歩み寄る。
「・・・私もここで頂きます」
朝食を摂ろうとしている彼を前にしてしばらく考えあぐねたが、結局共に朝食を摂る事で落ち着いた。
王子の生い立ちを聞き無性に彼に会いたくなり、急いで戻って来たが、彼にかける言葉が見つからない。
よく考えたら正式な夫婦となったのに、王子とまともに会話もした事がない。このままではいつまで経っても状況を打破する事は出来ないだろう。
「・・・今日一日、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
とりあえず長く共にいる事で何か分かるのでは、と言う期待ゆえの提案だった。
王子の一日は既に調査済みであり、あまりの内容に気が遠くなったのはごく最近の話だ。だが、それでもやらなければ、と言う覚悟がアリアにはあった。
既に今のアリアには、自らのプライドのために王子を落とす、と言う決意はどこかに吹き飛んでしまっていた。ただ純粋に王子の事を知りたいと思ったのだ。
アリアの提案に、王子は長い睫を瞬かせたが、特に難色を示す事も無く頷いた。
「え、よろしいのですか?」
嫌がると思っていたアリアは驚きのあまり持っていたフォークを落としかけてしまった。
「別に構わないよ。僕の美しさの秘密を探りたいと言う人は多いからね。美の伝道師たるもの、そう言う人を受け入れないわけにはいかないのさ」
と、優雅に言うなりどこから取り出したのか、手鏡を見てうっとりと自分の顔に酔いしれ始めた。
王子が朝食に1時間もかける訳が分かった、と内心で呆れながらもアリアは横目で王子を観察していた。
大臣の話によると、彼は実は文武に優れた真面目な王子様だと言う――今は全くその片鱗は見られないが。
話を聞いた瞬間、アリアに奇妙な感情が湧き上がった。同情でも無いその感情の名前がまだ彼女には分からない。
アリア自身、女だと言う事をコンプレックスに生きて来た。幼い頃は兄達のようになりたいと考えていたが、その希望は早々に砕け散った。
女である自身を役立たずだと感じ、絶望した事もあったが、時が経つにつれて己の役割を理解し始めた――女、姫にしか出来ない役割を。
王子も己の境遇に絶望し、役割を見つけてしまったんだろう。そうしなければ生きていられなかったから。
己の生まれの不幸を共に嘆きあいたいわけではない。ただ、共に克服したいのだ。アリアの役割は今回の結婚でほとんど果たされてしまった。
だが、新たな役割を、生きていく意味を、この国で見つけたい――出来れば王子と共に。
不思議な感情に突き動かされながらも、アリアはそれが酷く心地良く、人知れず小さく笑んだのだった。
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