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「もう下げても良いよ」
王子がこの言葉を言ったのは、食事を始めて1時間16分後の事だった。
とっくに食事を終わらせていたアリアはイライラと待ちながらも必死にそれを抑え、根気強く王子に話しかけた。
だが、王子はよく分からない事ばかり言って、ろくに会話は成立しない。いい加減にブチ切れそうになった瞬間、王子がナイフとフォークを優雅に置いた。
すばやく食器を片付けていく侍女達の手際に関心しながら、もう一度大きく深呼吸をし、心を落ち着けた。
「食事の後は何を?お仕事でしたら私は・・・」
「お風呂に決まっているだろう?」
当然だと言わんばかりに王子は艶やかに笑んで見せた。
一瞬何を言われたのか分からなかったアリアだったが、すぐに以前王子の一日の行動を調査した事を思い出した。そうだ、王子は朝食後はすぐに入浴をするのだった。
・・・お風呂・・・。
今日一日王子と共に過ごそうと決意していたアリアだったが、早くもその決意は揺らいでいた。
さすがにお風呂までは同行出来ないだろう。正式に夫婦となったのだから構わないのだが、それはあくまでも表面上の事であって、まだ二人は正式な夫婦となっていないのだ。
王子だってきっと恥ずかしいはずだ。そのくらいの羞恥心はきっと持って・・・
「君も入るかい?」
いなかった。
困惑して俯いていたアリアだったが、王子の一言に思わず顔を上げてまじまじと彼の美貌を見つめてしまった。
「僕があまりに美しいからって、見つめすぎだよ?僕の美貌に穴が開いたらどうしてくれるんだい?」
「そうではなくて!い、今何て・・・」
「?君も一緒に入るかい、と言ったんだよ。僕の美貌を研究しているんだろう?美貌はお風呂から、だからね。しっかりと研究するといいよ」
一言も王子の美貌の秘密を研究している、なんて言っていないのだが、いつの間にか王子の中ではそうなっていた。しかも彼なりに妻の要望に応えているつもりらしく、僕って顔だけでなく心までも美しい、なんて陶酔している。
「あの・・・」
「ま、この僕の美しい体を前にして倒れられても困るし、止めておくかい?」
遠慮しようと口を開いたアリアだったが、王子の言葉を聞き、くすぶっていた苛立ちが沸々と再燃してきた。
余裕の彼の笑みを崩してやりたい。女性とお風呂に入るのがどんな事か分からせて見せる。
「いえ!ご一緒させていただきますわ!」
勢い良く立ち上がったアリアを支配していたのは、女としての意地とプライドだけだった。
これに飛びついたのは王子付きの侍女達で、黄色い悲鳴を上げるや否や、
「それでこそ夫婦のあるべき姿ですわ」
「今回は全てアリア様にお任せして、私共は外で控えさせて頂きます」
そそくさと頬を染めながら部屋を退出して行く。
「ちょっと、あの・・・!?」
「それでは、失礼致します」
焦るアリアの目の前で無常にも扉は閉まってしまった。
「・・・・・・」
漸く己の言った言葉の重大さに気付いたアリアは青褪めて、しばらく扉を見つめたまま動く事が出来なかった。
どうしようかと必死に打開策を考えるアリアの背後で王子はゆっくりと立ち上がると、優雅に微笑んで見せた。
「じゃぁ入ろうか」
「・・・・・・はい」
いい加減に観念したアリアは羞恥に染まる顔を必死に俯いて隠しながら王子について、浴室へと向かった。
大きな浴室には一面に薔薇が浮かび、咽返るほどの香りが立ち込めている。ここまでの薔薇が果たして必要なのかと鼻を押さえながらアリアが考えていると、目の前で王子がおもむろに服を脱ぎだした。
「な、何をしているのですか・・・!」
眩しいほどの白い肌が目に入るや否や、すぐに目を背けるアリアに王子は可愛らしく小首を傾げて見せた。
「今からお風呂に入るのだから、脱ぐのは当然だろう?いくら僕の美しさにあてられたからって・・・しっかりしておくれよ」
呆れたように笑いながらどんどんと服を脱いでいく王子にアリアが出来るのはタオルを渡す事だけだった。
「?このタオルは何だい」
「隠して下さい・・・前を」
「なぜだい。こんなに美しい僕の体を隠す必要なんてどこにあるのか、全く分からないよ」
「男性の局部なんて全く美しくありませんわ!とにかく、タオルを巻いて先に入って下さい!」
「う、美しくない・・・?そんな事は・・・!」
何やらショックを受けている王子の背中を押し、無理やり浴室に押し込む事に成功したアリアはひとまずホッと息を吐き出した。
だが、まだ試練は終わっていない。これから王子のいる浴室にアリアも服を脱いで入らなくてはならないのだから。
手近にあった大きめのタオルで体をすっぽりと包み隠し、長い髪を濡れないようにアップにする。
一通りの準備が整うと大きく深呼吸をして、緊張と羞恥に震える手でなんとか浴室の扉を開けた。
湯気の立ち上がる巨大の浴槽に目をやるが、王子の姿は無い。おや、と思っていると横から声がかかる。
「全く遅いよ!僕の美しい体を洗うと言う幸運に歓喜するのも分かるけれど、僕を待たせると言うのはどうなんだい?」
王子は洗い場の椅子に腰掛け、苛立たしげに唇を尖らせていた。
「・・・私が洗うのですか?・・・王子のか、体を?」
「当然だろう?侍女達は行ってしまったし、他に誰が洗うと言うんだい?」
自分で洗えばいいのではないか、と思ったがそんな事を言ったらまた面倒な事になるだろう事はアリアには分かっていた。
高級そうな布とボディーソープを渡され、洗えと言わんばかりに背中を向ける王子にアリアは布を握る手に力を込める。
これでもかと言うほど布を泡立てると、腹立たしさも込めて思い切り背中を擦る。
「・・・っ痛い、痛いよ君!僕の美しい肌は繊細なんだからもっと丁寧に洗ってもらわないと!」
案の定喚く王子に胸がすっとしながらも、赤くなってしまった背中に少しだけ罪悪感が沸いた刹那、アリアは気付いてしまった。
真っ白な背中にところどころ残る傷跡。目を凝らさないと気付かない程薄い傷跡は美しさを重んじる王子には酷く不釣合いでアリアは言葉を失くした。
「どうしたんだい?早く洗っておくれよ」
「あ、この傷・・・」
一向に手を動かさないアリアに王子は焦れたが、彼女の戸惑った声にその美貌を強張らせた。
傷の理由を無言で持って尋ねるアリアに王子はしばらく考えた末、大げさに嘆いて見せた。
「これは昔少しやんちゃしていた時の名残なんだよ。こんなに美しい体に醜い傷をつけるなんて、僕も幼かったと言う事かな」
「・・・やんちゃではなく、剣の特訓ではないのですか?」
「・・・何の話だい?」
意味が分からないとばかりに微笑む王子だが、アリアは確信していた。大臣に聞いた王子の過去――それをこんな形で辿る事が出来るとは思わなかった。
「醜くなんてありませんわ」
数え切れない傷跡を一つ一つ撫でて行く。小さく肩を震わせたが、王子は特に止める事もしない。
「これはあなたの努力の証です。どんなに美しく装ってもこの傷跡には勝りませんわ」
「・・・全く意味が分からないよ」
「今はそれで構いませんわ」
言って、穏やかに微笑むアリアは知っていた――そっぽを向く王子の耳が少しだけ赤らんでいる事に。
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