12
立ち込める湯気に助けられながら何とか体を洗い終え、おずおずと湯の中に入ったアリアはようやく一息つくことが出来た。
薔薇色の湯に大量の薔薇を浮かべた浴槽は悪趣味極まりないが、体が見えないところが良かった。
最後の問題は湯を出る時だ、と一人思案する姫の体に湯の飛沫がパシャリと振りかかる。
何事かと思って俯いていた顔を上げると、そこには妙に深刻な顔をした王子がいた。姫とは離れたところにいたはずなのに、いつの間にか移動したようだった。
「ど、どうしましたの?」
いくら体が見えないと言ってもお互い裸だと言う事に変わりはなく、アリアの静まりかけていた心臓が再び早鐘を打ち始める。
「・・・君に聞きたい事があるんだ」
常には無い真剣な光を浮かべるオッドアイに吸い込まれそうになりながら、アリアは何とか頷いた。
「君はどうして僕と結婚したんだい?」
あまりに唐突な問いにアリアは息を呑んだ。これまで結婚について興味も無い様子だったのに、突然王子はどうしたというのか。
真意を図りかねて見つめる先の王子の顔は僅かに強張っていた――王子にとってこの質問は酷く重要な意味を持つらしい。
ここで答えを誤ればどうなるか、アリアにはすぐに分かったが、彼が何を求めているのか掴めない。
「・・・国の、ためですわ」
ゆえに、姫は正直に答えた。今の王子に取り繕った話をしても無駄だと思ったからである。
「大国と婚姻関係を結べば我が国の利益となります。私は国のために王子と結婚しました」
我ながら身も蓋も無い話だと思うが、王族の結婚などこのようなものだろう。
王子はアリアの話に傷付いた様子を見せることもなく、淡々と質問を続ける。
「好いた相手はいなかったのかい?」
「いませんわ。たとえいたとしても私は王子と結婚したでしょう」
「なぜだい?僕は恋とか愛とか良く分からないけれど、その相手と結婚したいと思うはずだろう」
「私が女である前に王女だからですわ」
恋や愛が分からないと言う王子に僅かに胸が痛んだが、ハッキリと断言した。
「王女としての役割と責任を果たす事が私に課せられた唯一の使命です。民よりも贅沢をする分、国のために尽くさなければならないと私は考えておりますわ」
「責任・・・」
小さく呟いた王子は何やら思いつめたように眉を寄せている。
何を思い何を考えているのか夫婦であるにも関わらずアリアには予想すら出来ない。それが酷く悲しく感じながら目の前に浮かぶ薔薇を手に取った。
真っ赤なそれは花弁を濡らし、艶やかに美しい――まるで王子のようだ。
「・・・私は王子が羨ましいですわ」
「え?」
薔薇を撫でながら姫は胸中の思いを吐露していく。
「私はずっと女である事がコンプレックスでした。男に生まれて、兄王子達のように父王や国のために働きたかった」
手に力を込めると、花弁が一枚湯へと落ちる。
「ですから、男である王子、あなたが羨ましいのですわ。あなたは私がどう望んでも出来ない事が出来るのですもの」
「僕は・・・」
「ですが、あなたはそれをしない」
「・・・っ」
アリアに真っ直ぐ見つめられた王子はその視線を受け止める事が出来なかった。逸らされた瞳に浮かぶのは困惑と焦燥か。
「確かに王子は美しいですが、本当に美しいものとは何か、王子にも分かっているはずですわ」
「・・・僕はそろそろ出るよ」
ふいに王子は立ち上がると、姫が声をかけるより先に足早に出て行ってしまった。
バタンとしまる扉が王子の拒絶を表しているようで、アリアは一人肩を落とした。
つい言い過ぎてしまった。このままではいけない、彼ならば分かってくれるはずだと言う思いを込めて言ったが、どうやら伝わらなかったらしい。
それが酷く悲しく、これでもう王子は話しかけてくれないのではないかと言う不安がアリアを襲う。
「・・・嫌われてしまいましたわね」
自嘲するアリアの吐息だけが空しく湯気の中へと溶け込んでいった。
一方、一足先に風呂から出た王子は脱衣室でしばらくの間呆然と立っていた。
髪から落ちる雫にも気付かずに脳内でアリアに言われた言葉を反芻する。
初めて自身の美貌を否定された。本来ならそれは有り得ない事だと声高に叫ばなければならないのだが、不思議と王子は納得してしまっていた。
「僕よりも美しいものなんて・・・」
あるはずがない。あってはならない。それなのに、姫はあたかも王子の美貌をまがい物のように言い、自分はそれに納得してしまった。
「・・・駄目だ」
本当に美しいものなんて知らない。知ってはいけない。
「この世で最も美しいものはこの僕だ。僕だけ。そうじゃないと・・・」
ボクハカチノナイニンゲンニナッテシマウ
脳裏に過ぎった恐ろしい結末を振り切るように、鏡に己の顔を映す。
それは不安げに揺れていたが、くすみ一つ無い金髪にブルーとグリーンの宝石のような瞳、薔薇色の唇――その全てが完璧で美しかった。
「大丈夫」
目を閉じて耳を塞いでしまえばいい。そうすればいつまでも幸せでいられるのだから。
ようやく落ち着きを取り戻した時、鏡の中の王子は今度こそ完璧に美しく微笑んでいたのだった。
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