13
「はぁ・・・」
それは決して大きくはない溜息だったが、ロザリーの耳にはしっかりと届いていた。
「どうかなさいましたか、アリア様」
彼女の前にティーカップを置きながら尋ねると、姫はますます悩ましげに眉を寄せた。
「少しでも王子に近付きたいと一日行動を共にしたけれど、失敗でしたわ・・・むしろ距離が遠のいてしまったようで・・・」
風呂場での会話以来、王子は表面上はこれまでと同様に接してくるが、アリアには分かっていた。
「・・・王子はもう私に心の内を見せてくれないかもしれませんわ」
美しい顔に、完璧な微笑み――アリアが見たいものはそんなものではなかった。なのに、王子はその顔しか見せてくれない。
再び溜息を吐き、目の前の紅茶が揺れるのをぼんやりと見る主とは裏腹に、ロザリーは嬉しそうに微笑むと、
「でもさすがアリア様です。あんなナルシス王子相手でも国のためにそこまで出来るなんて・・・私には真似出来ません」
尊敬に輝く目でアリアを見つめた。
「・・・国のため?」
「はい。王子と不仲なんて噂が流れたらいけませんし、世継ぎを作ってしまえば同盟も強くなり我が国も安泰ですものね」
「・・・」
「アリア様?」
「え・・・あ・・・そう、ね」
慌てて頷いたアリアだったが、その顔には明らかな動揺が見て取れた。
ロザリーの言うように、王子との結婚は国の繁栄のためであり、仲が良好でなければ同盟にも傷が付くかも知れない。
だが、果たして自分は国のために王子に近付こうとしていたのだろうか。
「・・・違う・・・」
最初は確かにそうだった。けれど、いつの間にか目的は変わっていた。ただ、王子の心が知りたくて、王子に近付きたくて――王子と本当の夫婦になりたくて。
そしてアリアは気付く――私は、王子が好きなのだと。
それは深窓の姫にとって初めての恋だった。政略結婚の相手を好きになるなど、安っぽい恋愛小説のようだが、アリアの場合はハッピーエンドにはならない。
王子が愛しているのは己のみであり、決してアリアを見てくれることはない。政略結婚で結ばれた二人にはそれ上の発展は望めない。
恋を自覚する前に失恋は決まっていた。それどころか余計な事を言って彼から疎まれているかもしれない。
だが、不思議と悲しくはならず、つき物が取れたように、心は晴れやかになった。
「これ以上嫌われる事もないのですもの。こうなったらとことんやってみますわ」
「アリア様・・・」
言って美しく微笑む姫を、ロザリーは痛ましげに見たが、それは一瞬の事ですぐにいつもの元気を取り戻すと拳を振り上げた。
「大丈夫です!アリア様の魅力を持ってすればあの王子だっていつかは陥落します!じっくりゆっくりいたぶっていきましょう!」
「いたぶるって・・・」
「つきましては、王子が明日町に視察に出るらしいのですが、アリア様もご一緒なさってはいかがですか?」
「え?視察?」
初耳だったアリアは飲もうとしていた紅茶を一旦ソーサーに戻した。
「明日王子は視察に行かれるの?私初めて知りましたわ・・・どうしてロザリーは知っているの?」
「王子の侍女達に聞きました。彼女達もぜひアリア様もご一緒して欲しいと言っておりましたよ」
既にロザリーは城の侍女たちを掌握しているのかと驚きつつも、視察の二文字が心にかかる。
「視察には興味はありますわ。繁栄するこの国の町並みをじっくりと見たいと思っていましたの」
「アリア様!そうじゃないですよ!王子とデートのチャンスなんですよ!」
「え?デ、デート・・・?」
聞きなれない単語に思わず声が上ずってしまう。
「そうです。アリア様は王子とまともにデートもした事がないじゃないですか。視察にかこつけて新婚気分を味わうべきです」
新婚、と言われますます照れる姫にロザリーの勢いは増す。
「いつもと違ったところで会えば気持ちも変わるものです。ぜひ行きましょう」
「でも・・・私は聞かされていなかったのよ。そんな突然・・・」
「そんなの無視です。視察は大臣達が計画したものらしいですし、ちょっと頼めばすぐに了解してもらえますよ」
アリアの脳裏に歓喜する大臣達の姿がよぎる。確かに彼らなら大歓迎してくれるだろう。城から出た王子の姿や態度がどういうものかも見てみたい。
「・・・話をしてみますわ」
言って、アリアは席を立った。
「ぜひ!そう言って下さるのを我々は待っていました!」
王子の偵察に同行したい旨を伝えたところ、予想以上に大臣達は大喜びした。
「国民にも王子とお妃様の熱々ぶりを見せ付けて下さいませ」
「いいですな・・・世継ぎ誕生への第一歩ですぞ!」
喜びすぎて話が随分と飛躍してしまっているが、あっさりと同行は認められた。
大臣達によると、王子の視察は約2ヶ月に1回の割合で行われているらしい。視察と言っても国民への顔見せを重視しており、祭りを見物したり町を見て回るくらいだと言う。
「緊張なさらず、気軽に王子とお過ごし下さい」
「はい。ありがとうございます」
大臣の言葉に安心して頷いたアリアには、この視察が今後の姫と王子の関係に大きな変化をもたらすとは、この時思いもしなかったのである。
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