エトワール王子の美貌にも慣れたと思っていたアリアでさえも王子の姿は神々しいばかりで直視出来ないほどであった。

 漆黒の燕尾の軍服には総付きの肩章があり、そこから広がるマントは軍服と同色の漆黒だ。それだけならば立派な軍服なのだが、ところどころ金の刺繍や宝石が施されていたり、胸元には白い薔薇の生花が飾られていたりして、王子らしさが感じられる。

 てっきりいつものようなピラピラとした派手な衣装だと思い込んでいた姫は呆気にとられて、その場に突っ立ってしまった。

 音楽が盛大に鳴り響く中、全く歩き出そうとしない花嫁に、静かに見守っていた貴族達が徐々に騒ぎ始める。
 ハッとしたアリアはすぐに歩き出そうとしたが、足が震えて一歩も前に進めなかった。それでも歩こうとしたら、体が大きく傾いてしまった。
 何とか踏みとどまったが、これが姫に恐怖を与えた。無理に歩けば確実に転ぶだろう。それだけは避けなければならない。

 青褪めて小刻みに震える花嫁に、貴族達はますます騒ぎ始める。嘲笑にも聞こえるそれに、アリアは俯いた。
 貴族達よりも自分が情けなくて仕方が無かったのだ。

 どうしよう、どうしよう、と胸中で俯いて繰り返し自問しているアリアの視界に、ふと質の良い皮のブーツが入り込んだ。
 驚いて見上げた先には、こんな中でも微笑を浮かべる美貌の夫がいた。

 「・・・え?」

 反射的に発してから、随分と間の抜けた声だと自分で感じながらもアリアは困惑を隠しきれなかった。先程まで祭壇の前で優雅に佇んでいたはずの王子が何時の間に、何をしにここまで来たのだろうか。こんな事、もちろん行程には無い。

 焦るアリアを楽しそうに眺めてから、王子はその長身を屈めて姫に耳打ちをした。

 「一体どうしたんだい?君が来ないと僕はずっとあそこで待ちぼうけさ。いい加減疲れてしまったんだ」
 「・・・歩けないんです・・・足が、震えて」

 もう意地を張っている場合では無かった。王子に言うのは酷く屈辱的だったが、もうどうする事も出来なかったのだ。
 悔しくて情けなくて、自然と握り締める手を王子の意外に大きな手が包み込んだ。

 「仕方が無いから、僕が直々に連れて行ってあげるよ」
 「え・・・えぇ!?」

 意味が分からず瞬きをした次の瞬間にはアリアの体は宙に浮いていた。
 慌てて落ちないために王子の首にしがみ付くと、いわゆるお姫様だっこをされているのだと気付く。

 「ちょっと!?」
 「静かに。君はこれが演出だと言う顔をして笑っていなよ。そうすれば僕の次くらいには美しく見えるかもしれないしね」
 「な・・・っ」

 常の横柄な言い様にムッとするが、今は素直に従うしかない事は十分過ぎるほどよく分かっていた。
 突然動かない姫を迎えに行き抱き上げた王子に貴族達は目を見開いていたが、二人の笑顔に徐々に落ち着きを取り戻して行った。

 ゆっくりと、しかし確実な足取りで祭壇の前まで行くと、音楽がピタリと止む。王子は丁寧に姫を下ろすと、ニッコリと笑んで小首を傾げた。

 「さぁ、始めようか」









 結婚式は嵐の様に過ぎ去った。ぼんやりとしている間に大聖堂での誓いは終わり、国民への挨拶もほぼ王子が主役で、女性のみならず集まっていた国民全員を虜にしていた。

 王子のおかげで幸いアリアは体面を保つ事が出来た。あれは二人の仲の良さを見せ付けるためのサプライズであったのだと言うのが貴族達の見解らしい。
 彼らは王子のナルシストぶりを良く分かっていたので今回の結婚も期待していなかったようだが、皮肉にもあれのおかげでアリアは大部分から妃として認められたようだ。

 結局王子に助けられ、自分では何も出来ず、むしろ役立たずであった事にアリアは酷く落ち込んでいた。

 「どうなさったのです、アリア様。お加減が優れないのですか?」

 姫の髪を梳かしていたロザリーが鏡越しに主の様子を伺う。
 結婚式が終わって部屋に戻って来てからアリアは一言も話していない。落ち込んだ様に眉を寄せて口を噤んでいる。

 他の侍女から全て無事に済んだと報告を受けていたが、何か姫しか知り得ない不手際でも起こったのかとロザリーも不安になった。

 「何かあったのですか?王子に何か言われたのですか?」
 「・・・そうではないの」

 小さく首を振って、アリアは軽く息を吐いた。

 「むしろ王子には助けられたわ・・・」

 もしかしたら、王子は実はとても頭が良いのかもしれないとアリアは胸中で考えていた。
 咄嗟の機転や軍服を身に纏った彼の精悍さは、ただのナルシストな王子様とは思えない。

 アリアはこの瞬間、初めてエトワール王子を純粋に知りたいと思った。今まで国と己の保身のためだけに王子について調べていたが、今は違う。王子としてではない、エトワール自身を知りたいと望んだのだ。

 だが、姫はこの事実に気付かない。謎めいた美貌の夫の本性を知りたいと思うのは単純に興味のためだと考えていた。

 「ほんの少しだけ、これからの生活が楽しみになってきたわ」

 言って、はにかむ姫の頬が少しだけ染まっている事にロザリーはおや、と思いながらもホッとした。

 「それでしたら今夜の初夜もきっと大丈夫ですね。安心致しました」

 ロザリーの言葉に一瞬にしてアリアの笑顔が凍り付いた。

 「・・・初夜?」

 呆然と、恐ろしいものでも見るような目つきでロザリーを凝視するアリアに、

 「はい。今夜がアリア様と王子の新婚初夜になります。この国では結婚から三日間、夫婦は閨を共にするそうです」

 侍女は冷静に述べるが、彼女とは正反対に姫の顔はどんどん赤く熟れていった。

 「初夜はその、つまり・・・そう言う事なのよね?」
 「そう言う事です。先程楽しみになってきたと仰ったじゃないですか。きっと上手く行きます」

 力強く頷いた侍女に姫も己の目的を思い出す――王子の世継ぎを産む事が姫に課せられた使命。

 そのために、初夜は上手く事を運ばなければならない。いつまでもウヴな深窓の姫君ではいられないのだ。

 「・・・私、やるわ。今度こそユペール王国第一王女として立派に勤めを果たしてみせるわ」

 それこそが女であるアリアが国に貢献出来る唯一の方法なのだから。      











BACK  王子TOP   NEXT