馬車で丸三日の長旅を終えて、ミライユ王国へと輿入れをしたアリアを待っていたのは王宮の人々の熱烈な歓迎だった。

 「遠い所を遥々よくお越し下さいました」
 「一同首を長くしてお待ちしておりました」
 「アリア様が我が国のお妃様となられるなんて誠に光栄でございます」

 果ては侍女から大臣まで様々に述べられる祝いの言葉にアリアは目を白黒させた。ここまで歓迎される理由が全く分からなかったからだ。

 元々世界でも有数の大国であるミライユ王国にはユペール王国と国交を結ぶ利益は皆無に等しかった。しかし今回の結婚により両国は同盟を結び、ユペール王国は様々な資源をミライユ王国から破格の値段で輸入する事が出来るのだ。
 政治に知識の乏しいアリアでも分かる不可思議な結婚だが、ミライユ王国がこれほどまでに歓迎してくれると言う事は何かこの結婚にとてつもないメリットでもあるのだろうか。

 戸惑いながらもいぶかしむ姫の両手を握りながら咽び泣く、第一王子付の執事を眺めながら、アリアは花が綻ぶ様だと評される艶やかな笑みを顔に乗せた。

 「これほどまでに歓迎して下さるなんて、私こそとても光栄に感じておりますわ」

 微笑んで言えば、どんな人からも麗しい、気品があると絶賛された。
 予想通りにその場にいたミライユ王国の人々はアリア王女の美しい笑顔と威厳溢れる声に魅了されたらしく、半ば呆けていた。

 二人の兄王子とは違い、これが自分の仕事だとアリアはよく理解していた。自分の評価が上がれば引いては王国の評価に繋がるのだ。どんな理由があるにせよ、この結婚は成功させなければならない。

 彼女は自らの美しさをよく理解していたし、それを利用する術もよく心得ていた。どれほど美しいと言われる王子でも女であるアリアの匂い立つ美貌と色香には敵うまいと、この時はまだそう考えていた。

 「少々お待ち下さい。ただ今王子をお連れ致しますので」

 いち早く我に返った侍女の一人が慌てて頭を下げると退出をした。どうやら王子は別室で待機しているらしい。
 自分を出迎えてくれるものとばかり思っていたアリアは少々拍子抜けをしたが笑顔を崩さず優雅に返事をした。

 しかし、5分経っても10分経ってもいっこうに王子はやって来る様子はない。さすがにおかしいと考えていると、執事の一人が何やら大臣に耳打ちをしていた。大臣の皺を称えた穏やかな顔に焦りが生まれるのを横目で見ながら、何かあったのかと考える。

 仮にも花嫁を待たせるなんて、失礼にも程がある。これが大国同士の婚姻ならば決裂してもおかしくはないのだが、今回はユペール王国が何とか大国と国交を結びたいと言う立場のために文句を言う事も憚られた。

 そのため、今までこのような扱いを受けたことの無かったアリアは心中穏やかではなかったが、あくまでも表面上はにこやかに振舞っていた。
 だが、主の思いを感じ取ったのか、侍女であるロザリーが憤然と立ち上がった。

 「アリア様をここまで待たせるとは、先程の歓迎ぶりは嘘だったのですか!?あまりにも失礼ではありませんか!」
 「ロザリー、止めなさい」
 「いいえ!もう限界です!これ以上アリア様を軽んじられるとこちらも考えがございますよ!」
 「ロザリー!」

 もう一度、今度は少し語気を強めて言うとロザリーはハッとしたように口を噤んだ。
 ロザリーが控えた事を確認すると、アリアは困ったように笑い、小首を傾げてみせる。

 「侍女が大変失礼を致しました。ですが、このまま待たされると言うのも好ましくありません。何か事情がおありでしたらお話下さいませ」

 彼女の言葉に、大臣が一瞬迷ったように目を泳がせたが、やがて心を決めたのか前に進み出て頭を下げた。

 「申し訳ない。何とか王子をお連れしようとしているのですが、王子はどうやらいつもの習慣で・・・」
 「習慣とは?」
 「・・・湯浴みで御座います」
 「はい?」

 思わず、素っ頓狂な声を上げてしまったアリアに大臣は心底申し訳なさそうに何度も頭を下げる。

 「王子は、その・・・毎朝決まって湯浴みをなさるのですが、それが大変に長くて・・・その・・・」
 「もしや王子様はまだ湯浴みをなさっておいでなのですか?」
 「はい・・・一度お入りになると最低1時間はお出になりません。そしてその後髪や肌の手入れなどで1時間、マッサージで1時間と・・・午前のほとんどの時間をお使いになるのです」

 大臣の言葉に、さすがのアリアも笑みを忘れ完全に呆けてしまった。それはロザリーや他の付き人達も同様で、皆一様に口を開けてしまっている。
 程度の低い言い訳かとも考えたが、それならもっと良い理由を付けるはずであるし、何より大臣の心底困り果てた顔は嘘だとは思えない。

 「・・・そ、れは・・困りましたわね」

 何とか言葉を返すとアリアはそっと眉を寄せた。結婚相手の王子について、アリアはほとんど知らないと言っても過言では無い。とにかく美形だと聞いていたが、その性格や性質については聞いていなかった。

 もしかしてとんでもない人物なのでは、と少々不安を感じていると、ゆっくりと扉が開いて王子を迎えに行った侍女が入って来た。

 「申し訳御座いません。王子は湯浴みは終わったのですが、ただ今髪を乾かしていらっしゃる所で・・・まだお時間がかかりそうなのです」

 すみません、と泣きそうになりながら謝罪を繰り返す侍女を叱るほどアリアは鬼では無い。侍女が王子に文句を言えるはずも無いのだから仕方が無いだろう。
 ただ、そっと溜息を漏らすと仕方が無いとばかりに、

 「分かりました。では、失礼でなければ私の方からお伺い致しますわ。そうした方が建設的だと思いますの」

 と、提案をする。とてもじゃないが後二時間も待っていられなかった。午後から面会と言う方法もあったが、アリアは変わり者で酷く失礼な王子に一目会って文句を言いたかったのだ、今すぐに。

 幸いにしてアリアの提案は受け入れられ、王子の元へと向かう事となった。


 侍女に案内をされて長い廊下を歩きながらアリアはこっそりと辺りを観察していた。他国の王宮を見るのは初めてであり、自国との造りの違いや装飾がとても興味深く見えた。

 特に、窓の装飾はユペール王国では見られないものだ。砂漠の国であるユペール王国では飾りのような窓は無く、機能性が重視されていたからだ。

 「こちらで御座います」

 気が付くと、侍女が一段と煌びやかな扉の前で立ち止まった。どうやら王子はこの扉の向こうにいるらしい。
 仰々しく扉が開けられた刹那、咽返るほどの薔薇の香が鼻腔をついた。一瞬自分が薔薇園にいるような錯覚を覚えながら、促されて部屋に入ったアリアは我が目を疑った。

 まず、目が行ったのは見事な金髪であった。くすみ一つ無い豪勢なそれは水に濡れて光り輝いていた。
 視線を下に向けると、この世のものとは思えないほど麗しい顔が映る。純白の雪のように清廉な肌に宝石をはめ込んだ様な瞳は左右色が違っていた。右目は薄い緑色をしており、左目は濃い青色をして、とても神秘的な美しさを放っている。

 そしてすっきりと通った鼻に、薔薇を食んだかのような唇。全てが完璧で文句のつけ様が無く、地上に舞い降りた天使のように可憐でもあるが、湯上りのためか色付く頬に不思議な色香を感じる。


 思考回路は完全に凍り付き、ひたすらに彼の信じられない美しさに魅入られる。間違いなく彼はアリアが今まで会った人間の中で最も美しかった。世界一の美貌とは大げさだ、と思っていたが認めなければならないだろう。

 「やぁ。君がアリア姫かい?」

 ふいに、王子は微笑むと優雅に立ち上がる。不遜なほどに姫に見つめられていた事を全く意に介していないらしい。
 王子の声はその美貌と同様に、天使が歌っているようだと言う表現がピタリと当てはまるほど、滑らかで麗しかった。

 湯上りで服を肌蹴させたまま近付いて来る、美しすぎる結婚相手にアリアは固まったまま小さく頷くしかなかった。文句を言ってやろうと言う意識は既にどこかに消え去っていた。

 「そう・・・へー・・・」

 アリアの前まで来ると、繁々と顔を見つめる王子に、彼女は居心地の悪さを感じながら本能的に目を逸らす。
 しばらく彼女を眺めた後で王子は納得したように頷くと、満足げに微笑んで、

 「王国一の美姫と聞いていたけれど、僕程ではないね。やっぱり世界で一番美しいのはこの僕と言う事だね」

 とんでもない事をサラリと言うと、興味を失ったとばかりに姫に背を向け再び髪を丁寧に乾かし始めた。

 何を言われたのかすぐには理解出来なかったアリアであったが、徐々に王子の言葉が脳内に浸透した時、完全にその身を凍りつかせた。











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