君がいた物語






 どうして愛してしまったんだろう。この恋は悲しみしか残らないと知っていたはずなのに。









 「ジェラール!!」

 目の前で敵の刃を己の体で受け止めた男がゆっくりと倒れていく様を私はただ見ている事しか出来なかった。

 分かっていたのに。こうなる事は分かっていたはずなのに。

 必死に駆け寄りながら溢れ出す涙を拭う。

 分かっていた。だって彼は騎士だから・・私がいくら言っても聞いてくれない事くらい。そして――

 「・・・ミズキ・・」
 「ジェラール・・・ッ」


 分かっていたのだ。彼は絶対に助からない・・・ここで死ぬんだと。









 大好きな小説を読み終えた後、私は自然と涙を零していた。これが最終巻だった。きっとハッピーエンドになると思っていたのに。

 「どうして死んじゃったの・・」

 確かに主役ではなかった。主役の王子様を守る騎士に過ぎない存在だったが、私にとっては彼が主役だった。優しくて正義感が強くて・・・

 「王子様を庇って死んじゃうなんて・・」

 騎士としての当然の勤めだったんだろう。彼はきっと満足していた・・だって最後には微笑んでいたから。
 でもやっぱり悲しかった。何ヶ月も待って手にした本だったが、こんな事になるなら読みたくなかったのに。

 「結末は変わらないのかな・・・」

 言いながら本当は分かっていた、そんな事は出来ないと。作者さんに抗議の手紙を送っても無駄だし、誰かに言っても鼻で笑われるだろう――所詮小説のキャラじゃない、と。


 諦めに溜息を吐いて時計を見るともう深夜の1時を過ぎている。そろそろ寝ようと本を閉じようとした刹那、部屋の明りが消えてしまった。

 「停電・・・!?」

 雷も鳴っていないしブレーカーが落ちたとも思えない。他の家はどうだろうか、と窓に近寄ろうとしたが目の端に僅かな光を捉えたため足を止めた。
 光の先を目で追うと、そこにあったものは先程まで読んでいた小説であった。

 「え・・何?どうして・・・」

 小説が光るなんて有り得ない事だ。まさか暗いところで光る塗料が塗られているわけでもないだろう。


 ――ミズキ・・・。


 戸惑っていると耳元で囁くような声が聞こえた。
 驚いて部屋を見渡しても誰かいるはずもなく、恐怖心ばかりが募っていく。

 部屋を出ようとしたが、不思議と声が気に掛かり、同時に今だ光り続ける小説にも引き付けられる。

 見ているうちに手に取れ、と命じられたわけでもないのにどうしても小説に触れなくてはいけないといけないと言う強迫観念に捉えられていく。


 ――ミズキ・・ミズキ・・・。


 促すように繰り返される声に導かれ、それに手を触れた瞬間私の体は光の中に包まれた。









 「・・・・え?」

 次に目を開けた瞬間飛び込んで来たのは太陽の光だった。深夜であったはずなのにどう言う事だろう。
 しかも部屋にいたはずなのに今自分は草を裸足で踏みしめている。

 「外・・え?何・・」

 わけが分からない。パニックを起しかけてその場にしゃがみこんで頭を抱える。

 きっとこれは夢だ、と無理矢理納得させようとしてもあまりに鮮明なそれに涙が出そうになる。
 もしかしたら近くの草原かもしれない、と淡い期待を持って顔を上げてよく確認してみると、遠くに建物が小さく見えた。

 目を凝らすとそれが城である事が分かった。だが、城と言っても日本にあるものとは違い、西洋のものだ。

 「・・・あれ?どこかで・・」

 見覚えがある。海外に行った事もないのにどうしてだろう、と気になって裸足でも構わず近付くにつれて記憶の糸が手繰り寄せられる。

 「あの城は・・・小説の・・・」

 挿絵にあった城と目の前のそれは酷似していた。


 ドクン。


 小説に手を触れた瞬間ここに来た私。夜だったのに出ている太陽。

 冷や汗が背中を伝うのを感じると、遠くで馬の鳴き声が聞こえてきた。


 ドクン。


 馬はどんどんとこちらに向かって来る。乗っている人の姿も視界で分かるようになっていくと、衝撃でその場に崩れ落ちてしまった。

 「大丈夫か!?」

 一回だけ、王子の傍に控えている彼の挿絵があった。私は嬉しくて何度も食い入るように見た。カラーじゃなかったから髪の色などは分からなかったがそれでも満足だった。

 「ジェラール・・・」

 名字も決められていない脇役の騎士。きっと王子を守るためだけに生み出された存在。昼頃いつも城の周りを散策するのが好きだった。

 「・・どうして私の名を?」

 表情が動く。絵では感じられなかった存在感がそこにはあった。同じ人間としてジェラールに会えるなんて。

 「知ってるわ・・・あなたの事なら何でも・・・」









 それからは毎日が幸せだった。行くあてのない私を、素性の分からない私を、優しく面倒見てくれた。
 こんな奇跡、いつか終わるとかこの人は小説の人物に過ぎないのに、と思いながらも彼に惹かれていく事は止められなかった。

 知っていたのに。分かっていたのに。彼が最後には王子を庇って死んでしまう事を。

 だから私は結末を変えようと思った。私が物語りに入ったのだからきっと何かが変わると信じて疑わなかった。


 「え・・・王子様の護衛・・・?」

 そろそろだとは思っていた。この護衛先で王子は敵国の残党に襲われてそれを庇ってこの人は死んでしまう。

 だが、当然そんな事は知らない真面目な騎士は嬉しそうに微笑んで不安げな顔をする私の頭を優しく撫でた。

 「大丈夫だよ、遠出ではないし、明日には帰って来れるから」
 「・・駄目・・駄目よ・・行っては駄目」
 「ミズキ?」
 「行ったらあなたは死んでしまうわ!だから行っては駄目!」

 きっと意味不明な事を言う女だと思われるに違いない。だけど、私はこの先起こる事を全て彼に話してしまった。彼は怪訝そうな顔をしたが、鼻で笑う事もせず、最後まできちんと聞いてくれた。


 「だから・・・!」
 「・・ありがとう、ミズキ」
 「じゃぁ・・」
 「だけど、私は王子をお守りする騎士なんだよ・・それに私が行かなければ誰が王子の身代わりになるんだ?」
 「でも・・!」
 「大丈夫・・きっと、これが守ってくれる」

 言って、彼は私があげた指輪を撫でる。

 愕然とした。だけど、心のどこかでは分かっていた。たとえ止めても無駄だと言う事を。だって、そんな彼だから私は好きになったのだから。だけど・・・


 「・・・あなたを失いたくないのよ・・ジェラール」









 「ジェラール・・こんなに血が・・あぁ・・」

 必死に流れ出る血を押さえようとするが、止め処なく溢れ出る彼の生。

 「やだ・・死んじゃ嫌・・・」

 もう無理だ、と頭の冷静な部分は告げていた。やはり彼はここで死んでしまう存在でしかないのだから。

 「・・・ミズキ・・ごめん・・」

 震える手が私の頬に添えられる。血が付く事も厭わずに懸命にそれを握ると彼は嬉しそうに笑った。

 「・・短い・・間だったけれど・・楽しかった・・」
 「ジェラール・・ジェラール・・」
 「・・・君は・・向こうで幸せになって・・・」


 そしてスローモーションのように瞼が落ちていく。


 ――さようなら・・・ミズキ・・・愛してる。


 「いやぁぁぁぁぁぁ!!」



 叫んで勢い良く起き上がると、そこには見慣れた自分の机があった。
 どうやら眠ってしまっていたらしい。時計を見ると、朝の6時を過ぎている。

 「・・・夢・・?」

 机の上にはあの小説が置いてある。何も変わったところはない。

 「・・あ・・ジェラール・・!」

 急いでそれを手に取るとページを捲り、彼が死んでしまう場面を探し出すが、何度目を走らせても前と少しも変わっておらず、彼は王子を庇い死んでしまっていた。

 「・・・私は一体何のために・・」

 それともあれはやはり夢だったんだろうか。

 だが、やはり夢ではなかったのだと私はすぐに実感する事になる。次のページには前まではなかったジェラードの挿絵があったのだ。

 皆に看取られながら息を引き取った彼は穏やかに微笑んでいた。脇役の彼がこんなに大きく取り上げられる事なんてなかったのに。

 「どうして・・・」

 良く見ると、交差された彼の指にはあの指輪が描かれていた。


 ――大丈夫・・きっと、これが守ってくれる。


 「う・・ジェラール・・!!」

 ポタポタと小説の上に落ちる涙が染みになるのも構わずに、私は顔を近づけるとそっと永遠の眠りについた彼にキスをした。


  ――さようなら・・・ミズキ・・・愛してる。


 「私も愛してるわ」


 たとえあなたが小説のキャラクターでも現実に存在しなくても私のこの想いは本物でした。  











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